上川隆也さんの幸村を観に行った。
抱きしめたくなるような幸村であった。
敗軍の将がこんなに似合う人は、あまりいない。
夏の陣の赤備えや、翻る陣羽織の青い裏地。
槍を遣う所も素敵。
十勇士も、見所いっぱい。大助も才蔵も小介もいい。
鎌之助は、いい男過ぎて ずるいな。
秀頼もいい男ぶり。
淀君も上品だった。
でも、一番ビックリしたのは、オーズの兄ちゃんとげんちゃん=シンケンゴールド、げんちゃんは秀頼で、金蘭の衣装をお召しであった。
真田十勇士の一場面、大阪城落城の直前、赤備えで、朱の拵えの太刀と、槍を遣う幸村がいい~。
出陣する真田勢とか、幸村の翻る陣羽織の裏地が青いのとか、どんだけ泣くの。
眠れない。上川祭中。
どんくらい祭かっちゅうと、携帯電話の待受をー時的に幸村にしちゃうくらいには、祭。
そしてやっぱり、幸村、幸村ですよ。
何べんでも、言います。
殺陣の見応えもたっぷり。
衣装も美術も音楽もすばらしく、宮田さんの演出が冴え渡った。
https://www.youtube.com/watch?x-yt-cl=84503534&v
そして十勇士は十勇士としての道を辿るのだけど、そこに中島みゆきの歌とか、しびれる。
10日に観たときは、真田シートだったので、勢ぞろいの場面に遅れを取ってしまった。
今回は前楽。M列と、ちょうどいい場所。
中央通路にずらっと並ぶ十勇士を観る事ができて幸せでした。
はああああ、早く大阪にも来ないかなぁ。
20年前の1月17日は、忘れ得ない日になりました。
家から、淡路島が見える距離にあり、沿岸部は震度5以上の揺れだったと、地学の先生に教えてもらいました。
部屋の本箱が4つ倒れて、本に埋まっていて、父が助けに来てくれました。
廊下の本箱も倒れていて、扉がなかなか開かなかったのでした。
東西の方向にあったものは、無事で、南北の壁に立ててあったものは、みんな壊れました。
お風呂の壁や、新家屋の建て増ししているところが、ずいぶん壊れたのに、お爺さんが建てた、母屋が無事でよかった。
すぐに電気もついたので、家はまず、みんな無事でした。
おとなりの屋根瓦が、勝手の廊下にみんな落ちてきて、地震のときは、外に出ないほうがいいのだと思いました。
ちょうど、大阪市内の高校に勤めていたのですが、電車が動くまでは登校できなかったので、1週間ぐらい休んだように思います。
記憶は薄れるものです。
東北の震災があったときに、思いました。
我が家は海抜にして20センチメートルほどしかない場所です。
こんなに低い土地の海辺に住まっていて、津波に逢わなかったのは、そのときの幸運でしかないと。
その時、大学院の恩師、津高和一先生ご夫妻が、夙川のご自宅の倒壊で亡くなったと、後で知りました。
大阪でも、自分の市でも、海岸線から50m以内の地区は、たくさんの家がブルーシートを、かぶっていました。家から、淡路島が見える距離にあり、沿岸部は震度5以上の揺れだったと、地学の先生に教えてもらいました。
部屋の本箱が4つ倒れて、本に埋まっていて、父が助けに来てくれました。
廊下の本箱も倒れていて、扉がなかなか開かなかったのでした。
東西の方向にあったものは、無事で、南北の壁に立ててあったものは、みんな壊れました。
お風呂の壁や、新家屋の建て増ししているところが、ずいぶん壊れたのに、お爺さんが建てた、母屋が無事でよかった。
すぐに電気もついたので、家はまず、みんな無事でした。
おとなりの屋根瓦が、勝手の廊下にみんな落ちてきて、地震のときは、外に出ないほうがいいのだと思いました。
ちょうど、大阪市内の高校に勤めていたのですが、電車が動くまでは登校できなかったので、1週間ぐらい休んだように思います。
記憶は薄れるものです。
東北の震災があったときに、思いました。
我が家は海抜にして20センチメートルほどしかない場所です。
こんなに低い土地の海辺に住まっていて、津波に逢わなかったのは、そのときの幸運でしかないと。
その時、大学院の恩師、津高和一先生ご夫妻が、夙川のご自宅の倒壊で亡くなったと、後で知りました。
あまりにも寒くて、台所から出ず。
ごまめとクワイ、カマボコの飾り切りに興じる。
31日弟帰ってきたりして、穴子のお寿司と茶碗蒸し。
元日。
弟とお宮さんに行くも、人が並んでいたので、近くの婆ちゃんの病院に行く。
婆ちゃんのいる、3階だけが、インフルエンザで面会謝絶になっており、面会は果たせず。
徒歩圏内に神社と病院はあるが、実は墓もいえのそばである。
弟と二人、墓参り。
花の水を代えて、帰宅。
大晦日に食べ損なったお蕎麦を食べた。
弟は午後の飛行機で帰宅。
二日、甥っ子が来る。
京都の親戚の家に行っていたが「京都寒すぎる」と言って、夜行バスの時間まで、家で過ごす。
おせちを食べて、よるは牡蠣の鍋。
ちょっと前まで、サブカルチャー系のWebの仕事をしていたが、辞めてしばらく経っていた。
来週辺りから、就職が決まったようでよかったな。
成田賢氏のソロアルバムのアレンジャーが大野雄二氏だというと、興味を示したので、複数あったCDを一枚ずつお年玉がわりに持たせた。
8時間ぐらい、BSジャパンの歌番組を一緒に観た。
甥っ子1号は、昭和の63年生まれ。同級生に平成生まれがいる。
あいつもう26歳か。
夜行が23時過ぎだと言うので、夜に駅まで見送り、帰宅。
寒くてしんどい。
今日は、録り貯めたビデオを観ている。
紅茶を魔法瓶に入れて、ほしいもと、干物をかじりながら、遮光カーテンと新しいクッションで、ホームシアター出来た。
「ホビット~思いがけない冒険」で、二部を観たくなって、TSUTAYAで借りてきた。←いまここ。
二部観てから、最終話は先日映画館で観たので、次は、指輪物語を3つ観るよてい。
明日は、同窓会かな?
ごまめとクワイ、カマボコの飾り切りに興じる。
31日弟帰ってきたりして、穴子のお寿司と茶碗蒸し。
元日。
弟とお宮さんに行くも、人が並んでいたので、近くの婆ちゃんの病院に行く。
婆ちゃんのいる、3階だけが、インフルエンザで面会謝絶になっており、面会は果たせず。
徒歩圏内に神社と病院はあるが、実は墓もいえのそばである。
弟と二人、墓参り。
花の水を代えて、帰宅。
大晦日に食べ損なったお蕎麦を食べた。
弟は午後の飛行機で帰宅。
二日、甥っ子が来る。
京都の親戚の家に行っていたが「京都寒すぎる」と言って、夜行バスの時間まで、家で過ごす。
おせちを食べて、よるは牡蠣の鍋。
ちょっと前まで、サブカルチャー系のWebの仕事をしていたが、辞めてしばらく経っていた。
来週辺りから、就職が決まったようでよかったな。
成田賢氏のソロアルバムのアレンジャーが大野雄二氏だというと、興味を示したので、複数あったCDを一枚ずつお年玉がわりに持たせた。
8時間ぐらい、BSジャパンの歌番組を一緒に観た。
甥っ子1号は、昭和の63年生まれ。同級生に平成生まれがいる。
あいつもう26歳か。
夜行が23時過ぎだと言うので、夜に駅まで見送り、帰宅。
寒くてしんどい。
今日は、録り貯めたビデオを観ている。
紅茶を魔法瓶に入れて、ほしいもと、干物をかじりながら、遮光カーテンと新しいクッションで、ホームシアター出来た。
「ホビット~思いがけない冒険」で、二部を観たくなって、TSUTAYAで借りてきた。←いまここ。
二部観てから、最終話は先日映画館で観たので、次は、指輪物語を3つ観るよてい。
明日は、同窓会かな?
19日の晩に、堺の「寄生獣」を撮影した魚市場から程近いスタンドで、歌を歌いまくり、そろそろ忘年会流れの人が多くなってきた頃合を見て、21時50分発の東京八重洲口行きのバスに乗った。
注1)私は記念Suicaを買いに東京に行った訳ではない。
翌日が内田直哉さんと堀内賢雄さんのライブだったからだ。
昼と夜と2回まわしで、マチソワしたかったからだ。
先日のカインズライブで今年の遠征は終わるはずだったのだけど、このライブを見つけて問い合わせたら、チケットがまだあったので、年に一度の箱ライブなら、いいかなと思ったのだ。
話はそれた。
東京に着く前に、明け方、鮎沢で休憩がある。
4時過ぎてたと思う。
「始発でいく」っていう、知り合いのツィートは見たけど、記念Suicaの発売とは知らなかった。
夜行バスは、東京駅の前に、いったん新宿で停車する。
そのころには、ええかげん、情報は流れてきていた。
徹夜禁止なのに、徹夜した人が何千人もいたこと。
東京駅の丸の内口のみの販売で、15000枚出すということ。
こういうのは、希少性を出すと売れるんだけど、同時に、転売する人も出てくる。
以前、Suica ICOKA TOIKA の三社乗り入れの時には、三種類の会社から、似て非なるデザインのものが三種出たので、鉄分の多い甥っ子と手分けして、甥っ子は三島へTOIKAを買いに。
私は(たまたま東京にいたので)上野でSuicaを買いに。
で、肝心の地元の西日本のICOKAは、買いそびれた。
甥っ子は、三島で(わたしが買ったSuicaと交換する手はずで)関西から来た人に譲って貰ったんだとおもう。
今回、100周年カードを欲しいと思った人は、記念カードコレクター及び鉄の人だけではない。
東京駅に思い入れを持つ人が思いのほかたくさんいたのだろうと思う。
朝の東京駅、八重洲口にバスはつく。
日本橋のほうにも、行列の端っこがいて、人は増え続けた。
物見高いまねはせずに、改札に入り、ペンスタでカードケースを入手。
放送が、5000人を超えたと言っていて、すぐ後に、8000人を超えたといっていた。
一人三枚までの制限はつくけど、15000枚なら、買えるかどうかは微妙なラインであり、「もう、お並び頂いてもお買い求めになれません」という放送は、親切かもしれないが、アバウトだ。
結局今回は、9時半までに売った分をのぞき、当日は発売中止。
後日販売で、欲しい人には手に入るものになったようだ。
暴動になりかけても、ならなかったとは、日本人て、えらいな。
物壊さずに、みんな帰ったんでしょう?
売り手の読みは、甘かったと思う。
希少性などどこかに捨ててきなさい。
欲しい人が欲しいだけ手に入れられるように、記念品は作って売ればいい。
レアもの欲しい人は、いっぱいお金を持って、そんな店にいくといいと思うよ。
記念硬貨とか記念乗車券とか、大好きだけど、みんなが買えるといいと思う。
早々と山手線で居眠りをしてから、横浜方面に向かい、乗り越して帰ってきて、武蔵小杉で、ラジオを見ました。
