ブログネタ:田舎暮らしと都会暮らしの違いは何だと思う? 参加中時間の流れが違う。
田舎は時間の流れがゆったり。。。
違う違うとんでもない
しばとらにとって、田舎には寝る暇なんかないのさ。
田舎にはトッチャンとカアチャンがいた。
しばとらが田舎に行くとトッチャンとカアチャンのばらばら別々の要望に振り回されて無駄に何度もドライブにで、そうして潰れた時間は勘定に入らないで、3食のおさんどんをし、しばとらにとってはやたらに広いダイニングキッチンの食べこぼしの拭き掃除をし、こちらもやたらと広いトイレのジャバジャバこぼしおしっこの拭き掃除をし、と息つく暇もない。
お風呂に入るのは女の子同士カアチャンとはいるが、かけ湯もせずにウンチにまみれたお尻で湯船に進もうとするが有難いことに介助なしでは入って行けないのをいいことに、隙を見てシャワーで身体を特に腰以下をきれいにし、カアチャンがゆっくり浸かったら、
さあ、出よう
身体を洗うわけでもなくさっそく立ち上がるのに合わせて、洗いかけた身体を流して震えながら温まらずについて上がる羽目になり、同時にしもからのシャワーが湯船の中に降り注ぎ、まあそれ以上は浸からなくていいやと思い、その後は、日々のおさんどん以外の、作り置きの食品を夜なべして作り、ちょこっとまどろんだあとは、朝6時の朝食に間に合わせるように支度を始める。
そんなわけだから、
田舎暮らしと町での暮らしとは時間の流れが違う。
田舎は慌ただしく寝る間もない時間の流れだ。
それから、徒歩範囲の違い。
しばとらは必要に駆られて、田舎ではよく歩く。
駅からはバス停も定かでない。うちからのバス利用は、考えられないぐらい不便だ。だからと言って、タクシーのお世話になるには懐が寂しい。
そういうわけで、うちから駅へ、駅から家へは、内心やりきれなくもなりつつ、笑顔で徒歩範囲に入れる。まあなんてことはない、小一時間の距離だ。
都会じゃまずスポーツかなんかじゃないと歩かないがな。
でもトッチャン経由で、どうやら
田舎じゃどんな近いとこでも車で行くが、都会の人はいちいち有料の駐車場を借りたり車が不便で、当たり前のようによく歩くらしい。そのほうが健康にもいいみたいだね。スポーツで歩く人もいるぐらいだもん。車が便利な私たちにはとてもできない。
と、思われている。
とんでもない、何もかも、車じゃなきゃ不便な田舎暮らしで免許も取らずに、行ける限りトラクターか自転車で済ませてきたトッチャンのせいで、駅へくらいも送り迎えをしてもらえない不遇のしばとらの苦肉の策に過ぎない。
確かにしばとらは普段の暮らしでもよく歩く。そうさほんの10分程度のスーパーへの行き帰りや、道向かいのコンビニまでや、ちょっと一駅運動代わりの20分のウォーキングなら。
でも一番近いスーパーまで40分の、バスは1時間に1本の、それくらいの田舎暮らしで、歩かないですむなら歩きゃしないという気持ちくらいはわかってほしいな。
田舎暮らしとの違いは徒歩範囲にせざるをえない距離。
しばとらにとっては田舎暮らしは徒歩範囲がきつい。
付け加えて言うと、両方が当たり前の現実の中、徹夜まがいの暮らしの後で、忙しさを振り切って、列車に遅れまいと小一時間歩く。やりきれない思いになりそうなのを、神の住む大いなる山を仰いでこらえて気持ちを落ち着けつつ急ぎ、
都会にたどり着いて、遅れたって次にすぐ来る列車に何の意識もなく当たり前に乗り、駅から数分のマンションに帰り着き、振り回されることのない当たり前の規則正しい忙しさと、猫の集会に参加してのベッドでのまったりの共存が、都会暮らしである。
そしてあたしは、そんなしばとらと暮らす、都会暮らしの猫である。
