介護用車椅子には付き添いがつきものだ。
付き添いあってのお出掛けで自分でお出掛けできる車椅子が座り手主体であるにことなり案外と付き添い主体だ。
座り手が長く参加しているコミュニティなら座り手をコミュニケーションのとれる一個人として扱うだろうがはじめから座り手となって参加した場合残念ながら挨拶も世間話も頭の上の付き添いだけのものになる。

ママも長く参加してきたコミュニティでは介護用車椅子で外に出てご近所さんと話したり励まされたりしていたが、場所をかえてそうではなくなってしまったようだ。

家族からも声掛されるだけで返答を求められない。
いってきますもただいまも投げつけられるだけ。

そのことを受け入れさせられ、コミュニケーションをとろうとしては置いてきぼりにされ無視されて、いつか寂しく虚しい応答の努力は無くなる。無視にたいして無視で返すよりしかたない。

そうなると…はたから傲慢にも座り手は認知症、何もわからなくなったと更に冷たい扱いをされる。

家族がそうだと医療従事者も知っててか不勉強か勝手に診断を下し家族主体に扱う。お客はその人ではなくその人の家族だから…。