半年以上ぶりに、前のアルバイト先に出かけて行った。

トラちゃんは元気にしてるかしら、他の用もあって出かけて行った。


トラちゃんは元気にしていた。いい加減お年寄りのトラちゃん、写真撮ってくればよかった。

ざんねんざんねん。


トラちゃんは、あたし覚えていて歓迎してくれた。

トラちゃんは、おとなしく、もうあたしの自由にならない仕事部屋には入らないで、きちんと戸口で止まってまっていた。

パート仲間はみんな、鳴き声が違うからどうしたかと思ったら懐かしいのがきてたのね。

といった。


猫だって覚えているのだ。毎日の暮らしが大変だと、生きていくのが大変で、気にもしてないと思うかもしれない。

けれど、おなじみさんが来なければ心配をし、忘れないでいてくれる。再会の時は歓迎をする。


猫だってそうなのだ。

友達に会いたいと思う。

再会を喜ぶ心がある。

自分で出かけられるならきっと出かけていくだろう。ただ居場所を知らないから、遠ければ縄張りを越えていかなければならないから行けなく会えないだけだ。


猫だって子猫はずっと子猫だ。もちろん大きくなれば子猫扱いされずに、独立をさせられるけど、忘れ果てて暮らすのでなく、おとなとなれば母子、姉妹で協力し合って、ちゃんと親子であること姉妹であることをわかってくらしているのだ。

猫は、ぼろぼろになっても、帰りたいところに帰る。


人間にはそれが往々にして許されない。悲しいことだ。