ブログネタ:私の三日坊主の歴史
参加中わたししばとらは3日坊主そのものだ。
飽きっぽく、集中力はあってもふっつりと切れてからの再開ができないたち。
たとえば美術の宿題はいつでも徹夜でやり遂げた。ここまでと切ったら最後、明日はテンションが続かないに決まっている。どころか、途中でやめられない。週末なら徹夜が続いたってなんとかできた「若者時代」なんとかなったさ・・・
だけどそれではいずれどうにかならなくなる。
ママちゃんには、よく叱られた。
叱られていやいや続けたことで何とか続けられたものだっていくつもある。
後になってよく続けたといってもらっても、自分で続けたものじゃないという自覚は、長いこといやいやさせられたこを後になって褒めるいやらしさを嫌う逃げな感情でごまかしてきた。
いつからかはわからない。あんな3日坊主をよく根気よく叱り続け、ことを続けさせてくれたものだと感心するようになり、感謝できるようになった。
感謝は覚えても、どうやら3日坊主な性格は根強く改善されている様子もなく、成績はつまりは悪く、何かを積み上げる喜びに至ることはほとんどなかった。
もちろん何かを教えてもらって成績がでるうちは、得意なものは集中力だけで短時間でしみこむし、不得意なものも少々の集中力でいくばくかの点数につながるに決まっているから何とかなるものだ。
やっとのことで、懇切丁寧には教えてもらえない学びの場にまでたどり着き、あっぷあっぷするうちに、3日坊主は仕方がない。落ち込んでいてもどうにもならない。ときっぱりとした諦めとそれでも打開しなければならないところにたどり着いた。
ギリギリにきていても、ちょっとだけなら集中してしまわずにいられないものに恵まれ、どこまでも答えのない面白さに捉えられ、何とかその海を泳ぎ続けたいと思うようになった。
3日坊主はちっとも構わない。何とも思うものか。
3日坊主もおんなじことを何度もまたやりはじめれば、3日坊主で無くなる。何ヶ月か休んでも、ひょっとしたらあさってまた始めても、また3日坊主って思うことなんか止めちゃって、さっさとまたの出会いを楽しめばいい。
さぼっちゃった・・・えへ・・・また始めちゃった・・・えへ
どうやらママちゃんの伴侶からもらったらしい3日坊主の性質。
ママちゃんとの出会いが遅かったママちゃんの伴侶は、そんな気質をママのリハビリを手伝うことで発揮しちゃって、たった最後の一か月を投げ出してママを車椅子のひとにしてしまった。
ママちゃんとの出会いが遅かったママちゃんの伴侶は、また始める対処をできずにママちゃんの回復の事実を封印することで気持ちの整理をしてしまった。
どうやらママちゃんの伴侶からもらったらしい3日坊主の性質。
今となっては憎むべき性質だけど、生まれたときからママちゃんに育てられ、あたしは笑ってまた始められるようになんとか育つことができた。あたしは一生楽しめるものを見つけ、離れても離れても戻っていけるようになった。現状にちょっとずつ諦めや納得を交えながら手を離すことなくまた引き寄せて生きていけるようになった。
そうなのよ・・・あたしとの暮らしだってさ、トイレの掃除を忘れたりさ、病気の時はべったりなのにさ、こないだだってごっめーん、餌買うの忘れた。かつぶしだけで許して・・・とかさ・・・だけどいことにしとくよ。たぶん鯖トラの猫でいる間、たぶんずっと一緒に暮らすのだからさ。
