いろいろと体に出てくる年齢になって、症状によってあちこちの科にかかることになった方からのお話をききました。
納得のいかない対応に困り果て、漢方薬をのみたいとのことでした。漢方薬を試すことについて、(良い)漢方薬に早く出会うための助言を求められ、こたえていろいろとお話しました。
専門の医療機関を訪ねることについて
・・・ 歴史の長いところのご紹介と、よく存じ上げる先生のご紹介をしました。
専門の薬局を訪ねることについて
・・・ 腕の良し悪しも相性もかかってみなけば分からないけれど、知るところの生薬のよい所をご紹介しました。
漢方の流派らしきものについて
・・・大雑把に説明しました。日本の漢方の流れとざっと3つばかりの「派」と新しく中国からやってきた「中医学」について。
さてそのあとのことですが、お話を聞いてお顔を見ていれば、勝手に頭の中に生薬のイメージが浮かんできます。ことことと煎じ詰めるイメージも浮かんできます。そしてあたしには、その煎じ薬のにおい(つまりそのお話をした方に合うであろう他でない独特のその煎じ薬のにおいです)まで思い浮かんできます。
その薬を飲んだときの感覚も思い起こせます。
その後の速やかな効き目に冷えが遠のきほっとする安心感まで思い出せます。
きちんと合わせた漢方薬にはその感じがついてきますから、薬を合わせる医者の側でもその感じを知っています。知っているはずです。
比べてみて、それぞれの錠剤やらカプセルを飲んだときの感じその影響の感覚を体感として思い起こせる医者はどれだけいるのでしょうか?注ぎ込まれる注射剤によって感じる血管痛を「血管痛がある」という文字でなく、体感としてしっているのでしょうか?
違和感を文字でしか知らなければ、平気でそれをわがままとも言えるでしょうし、気のせいや程度の低い気に留める必要のないものと考えの外に置くことも簡単なことでしょう。
漢方薬をつかおうとすれば患者の違和感や苦痛に目を向け耳を傾けなければなりません。
どんな数字だからどの漢方薬を使うのだとは決められないからです。
数字だけで使おうとすれば、使い方に無理が出て、出るはずのない人死にの出るような副作用がでることもあるからです。
漢方では、例外なく、体を楽にするために飲むのが薬です。
遠い将来の予防のために、今の苦痛を我慢して薬をのみ、別の病気を背負うのでなく。
薬を飲めば今を調えて、楽になることを重ねて、いつかの将来までの予防とするのです。
取り留めなくなりました。。。
