飲んでみて、効いたかどうかわからんけど、何か良かった。
この感じが決め手だ。
この感じがあるなら飲めばよい。
嬉しいことに、飲んでしまってから大変なことが起こることや、そのことが取り返しの付かないことになることが、無い!
ここが大事だ。
飲んじゃった。どうも良くない、お医者を呼ばなくちゃ。(ノ_・。)
とか、どうも良くないから、お医者に掛かってみたら、副作用ですね「これ以上は進ませないようにしましょう。(ここまではどうしようもない!)」Σ(゚д゚;)
とか、当事者にとっては物凄く大事なことが、そして起きちゃったら当たり前のように扱われることが! 起こりにくい。
大事なことは、「何かいい感じ」
この感じが何なのか、「自分でわかる」こと!
それはちょっとしたことだから。
例えば、なんだかおしっこがすっきり出たような気がする。
なんとなく飲んだ日はテレビのコマーシャルがうるさく(感じ)ない。
ことんと眠れたような気がする。
わずらわしい暑さが減った。
手足が熱くて困ることが今日は無かった。
つまみ食いがそういえば少なかった。あるいは多かった。
いろいろな、ちょっとしたこと。それについてくる感じの良し悪し。
,他の誰にもわからないことだけど、自分(あなた)にだけわかる「感じ」!
これは、理由がわかっているものもあるし、わかってないものもある。
なんとなく「東洋医学的な(うそ臭くわかり難い)言葉で説明できる(ごまかされてしまう)」ものもある。
わかっていても一つ一つの説明にはいくつものことが関わりあっていて、上手に説明するのはなかなかたいへんで、あんまり説明をしてもらえなかったりするものもある。
説明できなくとも、その良い感じは、体がいやなことなくうまく機能したときに感じるものだ。
だから、その感じをきめ細かく感じ取るのは、自分の脳みそが自分の健康管理にちゃんと一役かっているということ。
体の声を聞くことができるのは、自分(あなた)だけ。
自分ではちっとも耳を傾けないで、隣にいてあなたを深く愛してくれている人に任せっぱなしの人は結構いるものだ。
愛情深く、能力が高い、心丈夫なひとが付いていてくれると、
お帰りなさいと受け取った鞄を手に取ったとき、その持ち手が今日はいつもより冷たかったから、
熱いお絞りを使うときの表情が違うから、
トイレにたつ回数が何となく気になるからと、
お献立を変えてくれたり、いつものタイミングを変えたとは気づかないぐらい心地好く変えてお茶をだされたり・・・
それはとても幸せなことだろうけど、自分は自分でちゃんと体の声に耳を傾けて欲しい。
どんなことがあってもあなたを離れずそばにいるのは、あなた自身だから。
体の声を聞いて飲むのに漢方薬はとても適している。
気をつけなければならないのは、「言われるままに」体の声を聞きもしないで、
どうせ長く掛からないと効かないと思い込んで、飲み続けること。
漢方薬の恐ろしい副作用の報告は十中八九こういうことで出てきている。
そしてその場合は、死んでしまったり、どうにもならない大きな瑕を残してもいる。
漢方薬の効き目は、自分では(あなたには)わからない血液検査の値などでなく、
自分(あなた)の「ちょっとなんだかいい感じ」が継続することで、体が当たり前の仕事を滞りなくできるようになって出るもの。
ものさしは自分(あなた)しか持っていない。
いっぽんいっぽん違う他人の物差しを、ましてや、仕方が無いからとメモリをうんと大雑把にとって、だいたい十把一絡げで「普通」をきめてあるその普通にあなたをはめ込むようなものさしを当てられて、自分のものさしを片付けてしまってはいけない。
若い頃、歳をとって、太って、痩せて、、、
あなたのものさしはその時々にちゃんと勝手に更新されている。
そのものさしの伝えてくる「良い感じ」にしたがって飲めばいいだけだ。
2005/12/30
