それでも私は人を救いたい


  昨日の夜、友達から電話がかかってきた。久しぶりに会ってランチを食べながら話したことが気になったようだ。誰にも話さないと思っていたことを、私に話したことを後悔していた。話したくないことが伝わってきて、くわしいことは分からず、ただ、共通の友達のHさんと、子どもがらみで別れることになったということだけだった。
 数年前に、Hさんの相談に乗って、アドバイスしたことが生かされることなく、親子関係が改善されないままで、子ども同士の仲もうまくいかなくなったそうだ。
 これまでも、いっぱい相談に乗ってきたが、問題が解決して喜んでもらえることもあれば、全く報われないこともある。長い時間係われば係わるほど、落胆は大きい。難病のTさんと4年係わってきたが、彼の心が変わることはなかった。死の恐怖から解放してあげたかった。希望を与えてあげたかった。人生は楽しむためにあることを教えてあげたかった。自分の病気は、自分の心が作っていることに気づいて欲しかった。でもどれも叶わなかった。「お役に立てずにごめんなさい」とメールを送った。薬が免疫を下げるので、なるべくのまないでと言っても、仕事を続けるために飲んでいた。家族を養わなくてならないから。分かるけど、嫌だった。思い通りにならないことに、腹も立つ。こんな気持ちで、会っても、お互い苦しいだけ。もう、会うのを辞めようと思った。彼は私と会って、共通の知人の話が出来るのを楽しみにしていた。でも、私は彼の病気を治したかった。「子どもが高校卒業するまで体がもってほしい」という彼を受け入れられなかった。私は、「病気を治す」と言って欲しかった。彼の心は、病気を半分受け入れていた。
 友達は、これまで親しくしていたHさんと別れることになったことに複雑な思いがある。子どもを守るために決断したそうだ。
 私は、彼女に「Hさんの相談に乗ったことは、いいことだと思うよ。今、Hさんが受け入れられなくても、5年後、10年後に、分かる時が来るかもしれない。他人の親子関係に係わっても、所詮他人だし、これから係わるのはやめようと思う」と、彼女は言うけど、私は、「神様はきっと、私たちがしたことを、喜んでくれてると思うよ。結果がうまくいかなくても、あの時、Hさんが苦しんでいる時、私たちは友達だもん、ほおっておくわけには行かなかったじゃない。寄り添ってあげたかったじゃない。そのことは間違いではないと思う。」
 私は友達の電話に答えながら、自分自身にも話しかけていた。私がこれまでTさんと係わってきたことは、彼にとってもいいことで、神様が喜んでくれること。でも、自分が苦しくなったら、離れるのもいいこと。神様は喜んで人と係わることをお望みだから。自分が出来ることは全てしたから後悔はない。TさんやHさんの歩みのペースで気づいてゆけばいい。私はヒントを出しただけ。いつか、分かってくれる時がくる。分かってもらえず、悲しかったり、落ち込んだりするけど、それでも私は人と係わり、人を救いたいと思う。友達が、「なんとなく会いたくなっただけなのに、しゃべりたくなって」というから、私は、「なんか、苦しいことがあったんだと思ったよ。あなたの魂が私の魂を呼んだんだと思うよ」と答えた。