幼子に離婚話をする母 | 奇妙で愉快な家族

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発達障害の長女じゅーちゃ、東京で働く息子、未婚の母になることをあえて選び看護師として働くシンママのちびさんと3人の母の私のブログです。時々認知症毒親のグチもあり。最近は孫のナッツちゃんも!
よろしくお願いします。

ふと思い出したので書かせてください。


私が小さい頃、まだ4〜5歳頃の話です。




朝電話で目覚めました。

なぜか母がおらず父が電話に出ると母でした。


父が


「しょうもないことしないで帰りなさい」


と言うと母はまったく拒否することなく


「わかった」


と言って電話を切り帰ってきました。



なんちゃって家出でした。

デモンストレーションとでもいうべきか、家出するつもりははなからなく「帰ってこい」と言われるための家出。



父はその頃浮気していました。


夫婦間で「りこん」「わかれる」という言葉が飛び交い、母はことあるごとに私たち娘に


「お母さん、お父さんと離婚しようと思う」


と言っていました。


月1ペースかそれ以上。



私は毎日のように言われてた時期に保育園の先生に


「お父さんとお母さんがリコンするって言う」


と泣いて相談しました。


先生が母に聞くと


「そんなことは言ってないです」


と言い、帰りに私に


「先生にいらんこと言わんの」


と口止めしていました。


父と母が喧嘩するたびにお腹が痛くなりました。

のちにあれは神経性胃炎だと気づきました。


私は4歳でストレスで胃をやられていました。



母は小学生になった私にも何度も


「お母さん、お父さんと離婚しようと思う」


と言っていました。


私は


「いやだ。リコンなんてしないで」


と泣いて頼みました。


母は


「サバトラちゃんが嫌がるからお母さん、我慢するわ」


と言いました。


そのたびに私は


「お母さんを不幸にしてるのは私だ…」


と罪悪感を抱えていました。



中学生になった私にも母は離婚話をします。


中学生になった私は父から何をされていたのか少し理解していたので、逃れるために


「離婚しんちゃい。お金のことは私や妹ちゃんがバイトしてもいいし。貧乏でも大丈夫。3人で頑張って生きて行こう」


と言いました。


母はギョッとしたような顔で私を二度見し、悩んでるようでした。

背中を押そうと


「私たちがいるよ。大丈夫」


と母を励ますと、母は


「うーん、やっぱりあんたらが高校卒業するまではお母さん我慢するよ」


と言いました。


今思えば母は離婚を切り出しはするけど止めてもらいたかっただけ。

背中なんて押してほしくなかった。

だから捻り出した言い訳は私たちのせいでした。

でも私はやはり自分が幼いせいで母を不幸にしてると感じていました。


これが、


「大学卒業まで」


「結婚まで」


「出産まで」


とずれていき、最後には


「お父さんに家を渡したくない」


「お父さんがもらった遺産が欲しい」


になっていきました。



私自身離婚する時ためらいがありませんでした。


絶対に子供たちを言い訳に別れないなんてことはしないと決めていたから。


自分のせいで離婚もできず母親を不幸なまま我慢させてると思ったら子供は心に傷ができます。


私がそうだったから。


今「子供のために離婚はやめておきたい」と考えている人がいるなら将来後悔しますよ。




今母は私という娘がむりやり夫と別れさそうとして性的虐待を受けたと嘘をついて責め立てているという、可哀想な母をやっています。



性的虐待は本当なのに、母も父ならやりそうと思っているのに、別れたくない一心で「娘が嘘を言ってる」と言い訳しています。



こんな反面教師がいたから私は娘に大事にしてもらえる母になりました。



お母さんありがとう。