私の父は大正15年の生まれで戦争に行った生き残り組みだ


私は父から勘当をされて17歳から30年後にそれは解けた。


戦時中の父は炊事煩で料理を作っていたのだが人が足りなきゃ戦地に向かうと言うややこしい立場だった


私は父が怖く側に来ると身がまえをしたものだ

目が怖い


父は私が高校生でぐれていた頃何故か浴室のドアを突然開けた


「石鹸はあるか?」「温くないか?」

そんな事を言ってはドアを開ける


私はそれがいやでしょうがなかった


父は私が非行に走ってから呑めない酒を呑むようになる

私が実家に帰ると焼酎を抱えて

「良く来たな、、ま一杯呑めや!」

強制的に呑まされた


まだ健在だった母も気が気ではない

どちらかがいつ爆発するのか心配だったらしい


しかし呑み助の両者は違った

父は呑んで寄ったふりをして私のパーカーを背中から持ち上げる

しかしその下にはもう一枚インナーがある


父はどうしても娘が背中に彫り物を入れてるのを信じたくなかったんだろう


母は知っていた

しかし実家に帰るときはその事が有るので私は何枚も重ね着をしていったのだ


したがって真夏に返った事は無かった


父が踊ろうと言う

私は断る術もなく父の胸板に顔をうずめた


そんな時父は何処でこんな踊りを覚えたんだろう

いや父は水商売をしていた私に言った


「こんなお父さんくらいの男を散々騙してきたんだろ」


私の酒は一気に冷める


父は女に騙されてるな・・・


しかしそれで宴は終わった


その後に父が講釈を述べたのだ


「戦争に行って人を何度も銃剣で刺した事がある」

「慰安婦を抱かされたが誰も何も喋らないので中国人とは知らなかった」

そんなことを酒が進むうちに戦争の話をしだしたのだ


「俺が死んだら俺の肉を食って戦争に勝ってくれ」

そんなことを言いながら死んでいった戦士


父は炊事班だその肉をどうしたか想像に任せます


これが戦争なんですね


しかし慰安婦を連れて歩く国は日本だけだろう





*すみません今から猫エイズのワクチンをしにいきます

 コメ返は少し遅れますが必ずしますのでご了承くださ    い。3匹いるので大変です(笑