記憶に残る極道は石川力夫だけでなくとも沢山いる。
私はなぜかこの石川の生き方に自分を重ねてしまう。
ヘロインを覚えて堕落した生活を送り、最後は投身自殺だ。
この写真の頃からヤクザの道を走り抜けている12歳の時だ。
眼光が鋭い。
石川の墓は西新宿の歩道橋のすぐ傍にある。
「仁義」と彫られた墓石に沢山の極道がお参りにも来ている。
皆、何かを用意してくるのだろう。
墓石はかなり削られている。
私も行ったら、そのおこぼれを・・・・と削ってくるかもしれない。
まえに「かおり」さんと言う可愛い読者が言った
「仁義」は誰が、又、誰の意思で彫ったものなのか・・・・
石川は自分の命がそんなに長くないことは知っていたのだろう。
朝鮮人に安い金で生きてる頃に自分で頼んだことが判った。
その金の半分も払ってないことも判った
石川らしいと言うか戦後のどさくさの事だ。
私がわからないのは自殺した石川の奥さんは結核で入院もしない気丈な女だった。
奥さんがなくなる10日前の石川の戸籍にはちゃんと入籍をしていた。
それがどちらかの意思で入籍をしたのか誰も知らない。
石川も結核にかかっていた
肋骨を6本も取り、大きな手術をしている
私があの世に行ったら石川力夫か鳴海清に逢って妾でいいからと交渉してみよう。
歴史に残るヤクザは沢山いる。
戦後を渡り歩いてきた極道は強い。
精神的に上り詰めてきたのだろうか。
この時代に石川力夫のような男がいても不思議ではないが、まだそういう男とめぐり合っていない。
私もトンカチを持って西新宿の墓石を叩いて小石を拾ってこようか・・・・・
たまに思うことがある。
自分が戦後に成人を迎えていたらどんな人生を送っていたのだろうか・・・
間違いなく石川力夫とへロ中になっているだろう。
でも逢わぬが仏、言わぬも仏、、、、、ほっとけか?
人生最後に何を思うのか判らないが、石川は無念だったろうと思う。
地獄に囲まれていてはダイブするしかなかったのか・・・・
府中刑務所には面会に良く訪れたが、面会さえも入ったら出て来れないような丈夫な塀だ。
石川は今頃、誰かに生まれ変わっているのだろうか・・・