鳴海 清の生涯  後編


ひろみの極道な半生






「ベラミ」のニュースが流れた時に逃走した犯人の服装を聞いた本妻は


「やった!」と思った。


家中の鍵を閉めて寝たのだ。



翌12日の朝、鳴海は本妻の家に帰った。


本妻が着せた白い服とは違って茶色のシャツを着ている。


優しい表情だったと言う。


女房に良く無事だったと言わた時

鳴海は

「田岡が首を押さえたから殺ったと思った。わしも走った時にやられる覚悟はしていた。

しかし相手は道具が無かった。

自分でもよく冷静でおれると思うわ。いずれ機会を見てもう一辺やるからな」

と告げている。


鳴海が自宅までの逃走にはよほど神経を使ったのだろう。


タクシーを5台も乗り換えて服まで着替えている


それが冷静なのだろうか。


そんな鳴海も

「べラミでコップに指紋があるし、メガネも忘れた。

もうすぐ身元が割れるやろ」


そんな事を話してる時にテレビの中で山口組幹部の話が流れた。


「うちの組長は市民に迷惑はかけん!」


これを鳴海は笑って聞いていた。


本妻がカタギに流れ弾が当たった事を言うと鳴海は

「それを言うてくれるな」

と不機嫌になったと言う。


鳴海は女房を布団に誘い、テレビを付けたまま、かつてない激しいセックスをしていた。


帰ってきてから1時間ぐらいのことだ


「出かける」

鳴海はそういって布団から体を起こした。


いつも必ず着けている腹巻から札束を出して二人の女で分けろと渡す。


最後に鳴海は言った

「もしパクられても、未遂やから早く出られるが、どうせ菱形にやられる。今は自首できないがパクられたら、警察には本当のことを言え。面会には来るな。

自分は葬式は要らない。

せめて死んだ会長の骨と一緒に墓に埋めてくれ。

長いこと済まんかったな・・・・」


女のみた最後の鳴海の姿になる。


13日、警察が本妻の所に来て「ベラミ事件」が夫の犯行であることを告げた。

まだ何処も報道されてない時だった。


山口組の報復を恐れて本妻の家に刑事がはりこんでいた。


しかし予想された報復は無かった。


それは田岡組長の報復は避けると言う言明が本心だったのだろう。


刑事が引き上げて行くのを待っていたかのように鳴海から自宅に電話が入り始める。

盗聴はどうした、外で張ってるはずだからココには来たらダメだ。


しかし、この頃の鳴海にはまだ余裕が見られた。


「お前は鳴海の嫁だ、しっかりせいよ。子供も頼むぞ。お母さんにも済まん事をしたと謝っといてくれ。瞳のことも頼んだぞ・・・・・」


そんな電話が10回はあった。


8月27日夜10時過ぎに最後の電話になった。


妻とはとうとう会うことが叶わなかった。



時はさかのぼって、8月11に大阪の二つの夕刊紙に

「田岡、まだお前は己の非に気がつかないのか・・・」

で始まる手紙が届き、その便箋から鳴海の指紋が2つ検出された。


筆跡も前科の供述書のものと一致した。


それがわわかると夕刊紙は最大級の見出しで鳴海が生存していることを報じたのだ。


この直後から山口組の報復が始まった。


村田組の幹部1人西口組の張り番2人・・・射殺


ふてぶてしい挑戦状にや山口組幹部を激怒させたらしい。



しかしこの手紙は鳴海が実際に書いたものではない。


忠誠会幹部がかくまっている家で強引に書かせたものだ。



鳴海は漢字が多すぎると言いながら書いたのだ。

鳴海は気乗りしなかった。


しかし書き終えるとニヤッと笑っていた、。



二代目の大日本正義団会長は鳴海を女にも逢いたいだろうと外に出した


それが忠誠会若頭を烈火のごとく怒らせたのだ。


「預かってるわしらに責任がある。勝手なことをされたら困るがな」


しかし鳴海は8月14日に帰ってきた。


翌15日に鳴海が言った

「敗戦記念日が、わしの誕生日ですねん」


夜になると26歳の誕生日を祝ってもらった。



17日、村田組の若頭補佐が銭湯で撃たれた。


そのニュースを見た鳴海は泣きながら

「自分の責任や」と・・・・


21日、鳴海は女装させられてアパートを出ている。


翌月9月17日午後1時半、六甲山の近い谷でガムテープでグルグル」まきにされた腐乱死体が発見される。


翌日18日の朝刊の大きな見出しを私は東京の築地署の刑事の机に置いてあった新聞に目が留まった。


なぜかショックを受けたのを覚えている。


腐乱死体にわずかに残った背中の肉に彫られた天女の図柄が赤外線で判明した。

鳴海に彫り物を入れた人間がそれを見て自分が彫ったものだと証言する。


その体の腹巻にはいつも持ち歩いてる子供のスナップ写真があった。

鳴海の死が確認される


本妻と愛人は電話で泣きながら初めて話し合った。


「あの人はあれだけ用心深い人やったのに、パジャマの下にパンツをつけないで居るところをやられた」

「やっぱり身内に殺されたんや」


この二人の疑問が捜査に役に立った。


鳴海は忠誠会の壮絶なリンチのあとに殺されていた。


預かってる方も鳴海をもてあましていたのだ。


忠誠会の若頭が殺人罪で捕まる。


哀しきヒットマンだ。


私は今は亡き、山健さんには個人的に恩義がある。


これ以上のことを書いてはならないと思っている。


しかし鳴海はいい男だ。