懲役3年。しかし執行猶予4年。保護観察4年。
初犯でパクられて出た結果だ。
初犯にしてはちっとも安目ではない。
執行猶予はいい。なんだ?保護観察4年?
4年も保護司の元に通う事を考えたら憂鬱だ。長い・・・
罪状は逮捕監禁の罪・他3件・・・・・妥当か
23歳まで逃げ巻くっていたのに、24歳になった途端に初犯だ。
物事スンナリ行かないものだ。
保護観察とは、無知な私は未成年者に付くものばかりと思っていた。
老人でもつくのを大分後になって知る。
判決の日に弁護士に聞いた
「私、実刑でム所でしょうかねー」
「今は私にも分かりません」
何て言う弁護士だ。分かりませんで通るなら私でも出来る。
父親が裁判官に判決の日に言われた。
「娘さんを見えない鎖で縛りつけすぎましたね。少し遅かったですね。」
父は返答が出来なった。
このことが原因で保護司がついたのかと私は思っていた。
親がいるのに何が保護司だと思ったものだ。
自分の親には子供を保護する資格が無いと言うことなのか。
親が不憫だった。申し訳無い・・・
仕方ない・・・保護司の元を尋ねる。
麻布十播にある○○館の80は過ぎてるジジイだった。
口にマッチ棒ぐらいのヒゲを綺麗にそろえていた。
初めて見る保護司の印象だ。
手帳を持って1時間程、世間話をする。
事件の話しはしない。
その世間話は殆どが保護司の自慢話しでウンザリしてた。
「先生・・・」
そう言ってると機嫌がいい。
数回通ったけど、その度にくれる印鑑の数が少ない。
はあ~長いな~
ある日、重い足どりで保護司のドアをくぐった。
今日は保護司の様子が少し変だ。
私といつも向かい合って話しているのに落ちつかない保護司。
私もそれを見ていて落ちつかない。
(何かあったのだろうか・・・・)
保護司が私に接近してきた。
ソファーの隣に座る。
段々と私に近寄ってきた。
私は身じろぎもせずに、これも保護司の仕事か?ぐらいに思っていた。
「ひろみちゃん、今度、熱海にある温泉に2人でシッポリと行かない?」
何を言ってるんだろう。エロジジイ!
「あのー、少し考えさせてください。私・・・困ります・・・」
保護司の手が私のももを触ってきた。
「僕の冥土の土産にしたいから・・・」
ここらへんで私の頭に電気がピカッと光った。
「先生!やめてください!誰か来ます!」
「平気だよ、それより熱海の件、次に来る時に返事ちょうだい」
「気持ちがその気になったら来ます」
これで充分だ。
これを機会に保護司の所へは通わなくなった。
先方からも何処からも何も連絡も来なかった。
今で言うセクハラだ。
何か言われたら告発してやればいいと考えてもいた。
保護観察4年が4回で終わった。
そして二年の年月が過ぎて、本来なら保護観察中の私は右翼にいた。
どうしても事務所に飾る天皇陛下の写真が必要になった。
保護司は写真館の亭主だ。
私は特攻服を着て、天皇家の写真集を持参して行った。
相変わらずの保護司は私を見て驚いた。
それだけだった。
私の保護観察は帳消しだな・・・・
保護司に天皇皇后両陛下の写真を見せ、大きく引き伸ばしてもらうように頼んだのだ。
これは違法」なので他では頼めなかった。
「本当はいけないんですけどね」
そう言いながらスンナリと引きうけてくれた。
写真集は皇居の前で購入したものだ。
正月に行くと特別に売っている。
出来あがった写真を見て、私はいい保護司と巡り会ったな~と天皇の顔を見ながら思う。
料金は払った記憶も無い。
あのセクハラが口外されれば、もっと面倒だろう。
私は思う・・・・
こんなやり方はカタギではないな・・・
カタギはそこで行かないかも知れない。
図々しくもドアを開けた。
その後右翼の事務所には立派な両陛下の額入りの写真が2枚大きく飾られた。
保護司はもう生きていないだろう・・・・
冥土に土産は持たせなかったけど、私の特攻服を見せてあげた。
この年の日教組の集まりで全国から右翼が九段に集合した。
凄い車の台数だ。
信号も警察官の手旗信号で赤でも走らせる。
この時の靖国のあとに日刊スポーツからインタビューを日比谷公園で受けた。
見開きで私の右翼時代の写真が唯一載っている。
見たい方はどうぞ捜して下さい。
「今の右翼は駆け込み寺か」
そんなタイトルです。
私はこの時に撮られた写真が人生で一番輝いていたと自負しています。