あけましておめでとうございます(遅ればせながら・・)!

今年も宜しくお願いします。

 

毎年、新年にはその年の抱負や目標を立てるのだが。

今年は、目標を立てないことを、目標にしようと思う。

「計画しない。予定を立てない。決めない。」

 

ニューヨーク時代、メンター(恩人)からしばしば、「あなたはよく段取りをする」と皮肉を言われた。

私は、用意をして、下調べして、万全の準備をする正に用意周到、準備万端な人間だった。

しかし、準備万端な時ほど、空回りする事が多かった。

 

今は用意周到、準備万端の弊害も分かってきた。

 

人は皆、それぞれ独自の、

「Personality(個性)、Character(性格)、Sensibility(感性)」を持っている。

 

しかしそれを標準や平均に当てはめようとすると、弊害が起こる。

 

私は幼い頃から、標準・普通・平均といった類の言葉は大嫌いだった。

「人と同じ」が嫌いな、ただの捻くれ者だと思っていたが、当時から弊害が起こっていたのだと思う。

それは、正常な副作用?拒絶反応?それとも、防衛反応?だったのか。

 

学校教育を否定する気はないが、洗脳されてきた部分は否めない。

「標準で普通で平均的な人間」とは、一体誰に合わせてるのか?

これって、ただの「数字的に真ん中の人間」というだけの“架空”のものではないだろうか。

そもそも、そのような人間は存在しないし、なれるわけもない(なる必要もない)。

人を数字化しデータ化していること自体が、弊害である。

 

赤色がどれだけたくさんあっても、青色が混じると紫色になる。

一滴の青色が、紫色に染める。

数の問題ではない。質の問題である。

 

なぜ、数より質を大切にしないのか。

 

自分の特性も分かってきたところで、そろそろ自分の質に頼ってみようか。

たまたまピアノという楽器と、この先も生涯を共にする事になりそうだから、

ピアノと一緒に、なににも当てはまらない質になってやろうと思う。