中学生の時「ああ無情」を国語の教科書で習った。「レ・ミゼラブル」とは言わなかった。
燭台を盗んだジャンバルジャンを司教が許すところで終わっていたと思う。
なぜ、この題名が「ああ無情」なのか私には理解できなかった。
他人の暖かい愛を得て、改心したジャンバルジャン、なぜ無情なのか?
ずっと題名は気になっていた。コゼットも出て来る大体のあらすじがわかったがなぜ「ああ無情」かは
わからないままだった。
何年かして(いや何十年もして)「レ・ミゼラブル」をテレビで見て思った。
そうか、改心したにもかかわらず、幸福にはならなかった男の無情か!
改心しても意味ないってことか!こんなんだったら、そのまま大泥棒になった方がよかったか。
そうなんだよ
いつも不思議に思うのは、過去にやってしまったことは反省してもなくならないってこと。
ずっと引きずらなければならないってこと。
未熟で社会経験もない人間が起こした恥ずべき恥は、今になっても、残り続けるということ。
過去を考えると気が滅入る。ああ無情だ!
フランス語をやり始めて、「レ・ミゼラブル」の意味は「ああ無情」ではないという事がわかった。
「貧しい人々」!!! 納得。