6月の日本旅行のこと、ゆっくり紹介してきたけど、今回が最後。
滞在終わりの数日間は遠出はせず、のんびりといつもの場所に。
曇り時々小雨の中、地元の友達と息子と3人で。
福山城。
日本に行く度に散策するので、目新しいこともなく。。。と思っていたら、どうやら去年2022年は"福山城 築城400年"だったそうで、それを機にリニューアルされてました
まず、福山駅北口を出たところに"薔薇のアーチ内にお城が見えるスポット"が出来てました。
薔薇は、ほぼ終わってたけど、満開だととても綺麗でしょうね
こちらはまだ綺麗に咲いてました。
月見櫓と薔薇。
↑左側に新幹線乗り場が見えます。
そう、福山駅は昔ならお城の内堀の中にある、ということになります。
401年前に、徳川家康の従兄弟で初代藩主 水野勝成が築城したこの福山城(入城は先ず神辺城)、その後、松平家、阿倍家へと藩主が変わり、中には徳川幕府で大活躍した老中 阿倍正弘もいました。
外様大名の多い西国で睨みをきかす為には 徳川に近しい家が福山城をおさめる必要があったようです。
生まれ変わった姿を見るにはお城の裏側に行かないといけない、という友達の案内で、普段は行かないお城の裏側に行ってみました。
石垣の苔が良いです。
北側(裏側)には、前はなかった鉄板が貼ってあり黒いお城になってました
福山城天守は、第二次世界大戦の終戦1週間前の8月8日(広島原爆投下の2日後)に、福山空襲により焼け落ちてしまいました。
1966年に再建されたのですが、以前とは少し違う姿だったため、築城400年を機に、焼失する前の福山城の姿を取り戻そうとなったそうです。
401年前の築城時には、お城の北側に堀を作れなかったため、そちら側の防御力をあげるため、
大砲にも耐え得る"鉄板張り"の壁になりました。
だから、見慣れなくてもこれが本来の福山城の姿なのです。
一見大きな鉄板が貼ってあるように見えるけど、
当時は大きい一枚の鉄板を作る技術はなかったため、約11×130cm の小さな細長い鉄板が隙間なく一面に一個一個鉄釘で留めてあります。
この小さな鉄板のお陰で、リニューアルにかかった費用は、寄付金で賄われたそう。
「一口10万円の寄付を募る → 寄付した方の名前を鉄板の裏側に記し後世に残す」という、鉄板の数が多いからこそ出来たこのファンドレイジング。
無事、目標金額達成したそうです。
黒い姿も格好良いですね!(裏側だけど。)
正面も少し変わりました。
最上階の窓が増え、窓の格子が本来の黒に塗られ、手すりも黒に戻りました。
手すりの色は、焼失後再建された時の赤色が見慣れているせいか、ちょっと物足りなく感じる
地味になった。
参考までに、リニューアル前に撮った福山城の写真を貼っておきます。
変わったと言えば、リニューアル前にはお城の前の広場に、池とちょっとした庭園があり(上の写真の右側辺り)、ベンチも置いてあってゆっくりと座ってお城を眺めることが出来たけど、それが撤去され平地になってました。↓
残念。
今回は写真を撮りませんでしたが、福山城には空襲を逃れた 日本最古の櫓•伏見櫓や筋鉄御門もあり、一見の価値ありです。
お城の西側には素敵な結婚式場や、ふくやま美術館があります。
日本庭園の前を通って、ふくやま美術館に向かいました。
丁度、「大正アート•デモクラシー~個性の時代の美術」という特別展の最終週でした。
撮影不可でしたが、岡山県の夢二郷土美術館からの竹久夢二のセノオ楽譜、大判絹本着色《鴨東白暮》を含む5作品はこの特別展示の目玉なのか入り口にババーンと展示されてました
大正時代に活躍した福山出身か在住の画家の絵も何点か展示されていました。
池田昇一(のちの遥邨)、佐々田憲一郎、吉田卓 等々。。。福山に、ゆかりのある画家は結構いたのですね。
大正時代の福山では佐々田憲一郎を中心とした「ぶらんだるじゃん」という同人グループが結成され、共に洋画を学びあい、展覧会を開催しあい、自由に絵をやっていこうとしていたそうです。
地方でもこのような動きがあったとは、大正時代はエネルギー溢れる時代だったのですね。
美術館内で撮影可だったものを少し紹介します。
吉田卓 <羽扇を持てる裸婦》 1926年
他の海には見れない瀬戸内の穏やかな海の様子が
美しく描かれてます。
岸田劉生も数点ありました。
友達が、小学生の頃"麗子"に似てると言われていたけど、友達的には"お母さんの方が似てる"とずっと思ってる。。。なんて話してるところにタイミング良くこの絵!!!
この絵、友達のお母さんにそっくりです。
ご本人の若い頃と言われても信じるレベル。
少女の頃の麗子像と違い、普通に綺麗に描かれてますね
大原美術館で観た児島虎次郎の作品 もありました。
《ベルギー、ガン市郊外》1909~12年
色がいいですね。
黒田清輝に師事、白瀧幾之助。
《帽子の婦人》1905ー10
こちらも黒田清輝に師事、岡山県出身の赤松麟作
《裸婦》
福山生まれの羽田桂舟。
《四季花鳥図》1920年頃
可愛い
西洋近代美術の画家の絵も多くありました。
ジョヴァンニ• セガンティーニ
《婦人像》
マリー• ローランサン
《ターバンとマンティラとリボンをつけた3人の若い女性》 1928年頃
地方の美術館はゆったりと観れていいですよ
夕飯を食べ、帰る頃には日も落ち、ライトアップされた福山城も見れました。
日本では、丁度田植えが始まった頃で、懐かしい風景を見ながら散歩もしました。
久しぶりのタンポポも見れました。
最後の日には、日本に帰ると必ず食べに行く"珍豚美人(ちんとんしゃん)" に行きトンカツ定食。
何処にでもあるトンカツ定食に見えるけど、ここのソースと味噌汁、そしておかわり自由の麦飯の変わらぬ味が大好きです。
子供の頃は、トンカツよりフライ餃子定食が好きだった。
父がいた頃の家族の外食で一番好きだったのがこの"珍豚美人"。
父は海外にもよく行ってたし、グルメで、まだ日本でも飲茶が広まってない頃に、飲茶の楽しみ方を教えてくれたり、色々美味しいものは食べたけど、やはり"珍豚美人"がいい。
想い出も含めた味なんだろうな。
最後、日本旅行での色々。
大阪お土産"たこパティエ"
これ、東京から福山に帰る新幹線で、新大阪から乗ってくる人数名がこのお土産袋を抱えていて、すごーく気になってた物。
ビックリしたことに、実家に到着した時サプライズで来てくれてた姪っ子が大阪土産だと言ってくれたのです。
2時間前には「みんなが買ってる"たこパティエ"って何?????」と興味津々だったので
あまりの偶然に、ビックリ。
姪には旦那にもあげてね!と言われてたので、ちゃんとアメリカに持ち帰り一緒に食べました。
サクッとした生地に、ちょっと甘からいソース味で美味しかったです。
人気お土産なの分かりました!
駅内のお店で、何気に買ったもの。
チョコレートポテトチップスは何種類か食べたけど、やっぱりロイズのが美味しい。
チップスに厚みがあるのが決め手です。
長々と書いた日本旅行のあれこれ。
まだまだ行きたい所は山程あり、次回が既に待ちきれません!
みんなにも会いたい!!