またですか・・・・、と昨日和歌山で起こった、中学2年生女子による殺人未遂事件。

事件の背景はよくわかりませんが、存在が気に入らなかったといって同級生を・・・

ダメ!です、安易に事件をおこしては絶対にダメやね・・・・!!



中学生2年のとき、仲の良かった、大好きだった女の子とクラスが離れてしまい、その子が他の女の子といつも楽しそうにいるのを見て、妙に腹立たしかった記憶があります。

その、一緒にいる女の子が嫌だった、嫉妬していたんでしょうね~(笑)

だけど、正義心もあり、そんな風に理不尽なことを思う自分が嫌で、そのイライラ感を親や気の優しいお友達にぶつけていたような。。。。(あら?現代だと立派ないじめっ子ですね(・・;))))

私はどうやって、そこのとこを乗り越えたんだろう?



8の中学時代は親に何でも相談する子供ではなくて、でも、時々自分が話さないことを棚に上げて、何でお母さんは私のことを聞いてくれないんだろう?と思うことがありました。

そんなときは、姉が、お母さんが尋ねても何にも答えないのはアナタでしょ(`・ω・´)とたしなめてくれまして、ははは。そうっか、私が面倒がってるのか。と納得したり。

心の中を打ち明けられるような親しいお友達はなかなか出来なくて、黙々と部活(バレー部)にいそしんでおりました。

部活帰りの買い食いしたパンは美味しかったな(規則ではもちろん禁止!)

好きな男の子もいて(/ω\*)初恋!初恋!!、まぁ、3年のとき、見事にふられるのですが・・・

「中学時代」「中学コース」の雑誌でペンパルを見つけ、文通を楽しんだり(いまだとメールですね、、、)

お年玉で貯めたお金を全部速記の通販につぎ込んだり(ノ゚ο゚)ノ、もちろん、無駄になりました・・・(T_T)

おばあちゃんの部屋の小型テレビを夏休み中、こっそり自分の部屋に運び、お布団の上でごろごろ見ていたり(見つかって即、没収されましたが)

ここに書けない悪さはしょっちゅう、自分勝手に何でも決めちゃうし、実行力はありましたが、今思うとやりにくい子供でしたね(笑)

本当にこんな子供がよくぞ道を踏み外すことなく、どうやら平凡に結婚もできて・・・・と思います。それは何でだろう?


その時代は、親が働く姿を目の当たりにしてましたし(8の実家も農家です、小学生のころは、はさばで遊ぶのが大好きでした~)父親と直接の会話は皆無でしたが、食事は必ず一家全員でとり、とにかく、父が政治のこと・町内のこと・親戚のこと・歴史のこと・エトセトラ・・・・ビール片手に延々と一方的に話したものでした。

分からないことがあって、「何で?」とか聞こうもんなら、理解できるまで説明が続きました。食ってかかって討論会にもなりました(笑)

うんざりしたときは、さっさと食べて、逃げましたけど・・・・

でも、そのせいか、うちの親は信頼できる、物知りだ、と安心していたような気がします。

それから、父親がお風呂上りにはだかでうろうろして、げーーっ(#`ε´#)でしたけど、チカラ仕事で引き締まった体は、強そう~( ̄□ ̄;)!!とも思いましたね。



高校を卒業して、まだまだ私の暴走は続いたのですが、

今思うと親は、小言は毎度のこと。だけど、私を責めたり、怒鳴ったりはしなかった。心配のあまり捜索願を出されたときはさすがに、申し訳なかったですが!(´Д`;)わはは・・

アルバイトも、原付の免許を取ってバイクを買って帰ったときも、全部事後承諾。

たぶん、あきらめていた、とういうか、この子はこんな子。と受け止めてくれていたのでしょうか(笑)


知らず知らずに、親を尊敬していたのだと思います。そして親の願いを守ってこれたのだと思います。

こうやって、振り返ると、あれもこれも承知の上だったんだなぁ~と、懐の大きさを感謝しますね。。。。






親は我が子を毎日見つづけていますので、その子の性格とか、向いてるものとか、大概分かるものではないでしょうか?

我が子の異変に気づいたら、何気なく話をしたいですね。

そして、その子に合った方向性をいくつか示してあげたいですね。そこから自分なりの解決を、進む道を探してくれたら。




中学生のころは、葛藤や憎悪、正義感やらが入り混じり、ナーイブ。なくせに、子供なので天真爛漫だったり、残酷だったり。

こんな幼い年齢で、加害者にしてしまうのも、被害者にしてしまうのも大人に責任あり、と大いに反省するべきだと思います。

大人は大人として、態度でもって大切なものを教えていきたいですね。。。。(またもや、自分への要望か!笑)