沢田さん、最近あの、いろんなライブとかで
こう、歌われるようになって・・
ひところは歌とかあまり歌わないで、
歌っている姿を見るのが少なかった時期に比べると、
いま、けっこう歌われているじゃないですか」
 
そう話をきりだした拓郎さんの言葉を聞いて、
テレビの前のジュリーファンのほとんどは、
ええ?と思ったんじゃないかなあ。
私なんて、ええええ?でした。
テレビで歌う姿を見なくなった、じゃないんだよね、
「最近、いろんなライブとかで歌われるように」
なったと思っているんだよね。
 
ジュリーファンにとっては、
新曲を出して、ライブをやって、
音楽劇だのミュージカルだの、
なんでこんなに働くんだ?働きすぎだ!
と毎年毎年呟く日々だったのにな~。
テレビに拘束されない分、
音楽活動は多岐に渡ったと思うわ。
ACTシリーズでの歌の数々は、
なんと魅力的だったことか。
 
拓郎さんは、ジュリー祭り以降かな?
ジュリーのライブ活動が視野にはいってきたのは。
 
そう、あの、ですからね、
あの・・本数できなかったんですよ。
やっぱお客さんが入んないから、
そういう循環の頃があって、
それで、続けることしか僕ら、力は出せないしな~、
と思って・・・、 
ある日ハタと気づいたのが、中途半端な年齢なんだろうと。
若い頃は若い頃でイケイケだったし、
調子に乗ってたし・・・。
それに人間離れしてそれがよかったりした時期もあったんでしょうが、
人間ぽくなっていくのと、人気がなくなるのと、
なんか、そういう椅子取りゲームから外れちゃって、
もういいや、自分が好きなことをやって、
それで当たるまで待ちゃいいんだ、とか思いだして」
 
そんな拓郎さんに、
ジュリーは言葉を選びながら、
自分の思いを語りはじめます。
 
ちゃんと伝えようと、言葉を選んでいると
つい眉間にシワが寄ります
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で、私はその瞬間が萌え・・・
 
でね、そのジュリーを、
こんどは拓郎さんが清聴。
 
なにが一番自分が好きなことかといったら、
やっぱり、ライブやるのが一番好きだから、
といって、とにかく満員に出来るとこでやろう、
で、小っちゃいとこでやりだしたら、
なんか、落ち目、とか言われて。
だけどそりゃ、ガラガラのとこでやるよりかは、
小っちゃくてもいっぱい入っているとこでやるほうがいいし」
 
それと60って、 あのジュリーが60てか、
というのが皆さん、ほんとにあったようで、
自分は自分の人生やっているから当り前に、
さあ、どうしよう、
60になったらもう、懐メロ歌手でいいや、
と覚悟決めて、もう・・・」
 
その頃からまた、出来る本数が少しずつ増えていったんですよね。
だから歌っていなかったわけじゃなくて」
 
あ~、やっとここで、歌っていなかったわけじゃないと言ったわ。
それにしても、
電車に乗るとかスイカを持っているとか、
家事をするというのは得意そうに言うのに、
なんで世間一般に知って欲しいということは言わないんだ?
とそこはヤキモキするんですが~。
 
ただテレビに出ていくというのが・・・、
歌番組はないし、歌番組なんか出ていくと、
必ず誰かと一緒に歌ってくださいとなって、
どうも僕、そういうのが、なんか・・コラボ、コラボって言うけれど、
と思っていたタチだから。
たとえばミュージックフェアという番組でも、
ひとりでやらせて下さい、それだったら出ますって言って、
それがダメなら、別に出たいわけじゃないんだからって。
あの、テレビで歌うというのは、まあ・・、
好きじゃない人も相手にしないといけないわけでしょ?」
 
でもライブというのはもう、
万難排して来てくれるわけですよ。
ずっと前から・・切符を手に入れたときから、もう、
なに着て行こうとか、なに乗って行こうとか・・、
いろんなことを考えながら。
そういう場所というのは、
僕は大事にしないといけないと思ったし・・」
 
そうこうしているうち、まだやっているんだっていう・・。
実際問題、これだけ大勢の人がいると、
僕がめちゃくちゃ若くて、
あの・・自分の力以上に発揮していた時代に、
見てない人がいっぱいいるわけなんですよね。
タイガースなんかにしてもそうなんですよ。
リアルタイムで見た人というのは、ほとんどオンナなんです。
拓郎さんなんか珍しいんですよね。
だからたとえば今やったりなんかしたら、
いま見ないともう見られない、ていうので、
絶対、いっぱいになると思うんですよね」 
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で、それに似た現象が僕が60のときに。
きっと、僕のことをまだ見てない人がいっぱいいる。
で、ヒット曲とかというものは全部やろう、と思ったんだけど、
そしたら時間がめちゃくちゃかかる。
最初思ったのはやっぱり単純にね、
単純と言ったら泉谷に悪いんだけど」
 
ここでテレビ画面に、
「60歳のときジュリー祭りを行う」
というテロップが流れます。
テロップだけじゃなく、映像を流せ~!!!
 
あいつも60のときに60曲歌ったわけ、夜通しで。
で、僕の前だったの。
それじゃあね~、泉谷と一緒じゃやだ!と思って、
じゃあオレ、88曲歌おう、 
で、その曲数は充分できるんですよ。
ただ、こんど、お金の計算とか時間の計算したら、
それで片付けやると、貸料が、小屋の料金が倍になるって話になって、
何曲まで歌ったらできるかっていったら、
80曲だったんですよ」
 
80曲やるには何時に始めればいい?って、
あと照明さんとか、いろんな舞台の出題から、
三時に始めないとダメですと。
で、それやっちゃったら、まあ、なんていうんでしょ・・・、
一番喜んだのはファン人たちで・・」
 
そりゃすごい喜ぶよ、
80曲歌い続けた、すっごい喉ですね~、
と拓郎さん。
 
もうね、出る声が出なかったりするわけ。
またそれが、よかったりするんですよね。
頑張ってえ!みたいな」 
 
がんばってえ!とファンの心情を演じたあと、
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自分でウケて笑うジュリー
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ええ!思いましたとも!
京セラでは、途中、もう走るな!と叫んでしまいました。
確信犯だったのね。
 
それでもね、一生懸命自分で全部構成を考えるでしょ?
すると、この辺は無理してても、
あとでこう、チャラにできるような、
それで、見映え、音の映え、あと動き、
というそういうのも考えてやってたから、
大変だったでしょうというけど、
自分では、後半になったらこっちのもん、
ていう感じに作っていたから、
前半がね、使い果たさないようにしないといけないという、
競馬の騎手みたいなもんですよ。
出しちゃダメ!って、
セーブしながら歌ってる自分って初めてだったですね。
いや、でも、すごい体験で」
 
あれでセーブしていたのか・・。
でも、毎年毎年ライブを欠かさず、
セーブなんて考えもせず、
目いっぱい歌ってきたそれまでが、
ジュリー祭りに結実したんだよね。
ジュリーファンにとっても、
すごい体験だったよ~。