巷で人気の性格診断 | 鯖ちゃんのブログ(まだ考え中)

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なにひとつ 方向性が

決まっておりません。

ただ 自分の 備忘録。

随想譚としています。

猫たちとの日々を書こうかしら。



これ、中学生の頃の適性検査だなと思った。

私は当時、受けながら
『あぁ、この答えからして、私はこうだろうなぁ』が 見えていたので、結果としては
≪やっぱりなー≫だった。

かと言って、答えはきちんと自分の過去の傾向にきちんと従ったし、嘘偽りはない。
向いてる職業が何か、自分でもハッキリと分かっていた。、

中学生の時の結果は、やはりとても偏った円グラフだった。

大人になってからエニアグラムなどに興味を持っていた私は、少し前にMBTI??を見つけ、ずっとスルーしていたが、
懐かしくなってやってみた。

やはり、根本的なものは変わらない。
中学生当時と変わらず、エニアグラムにしろ
私は大抵 三つの素材がほぼ同率で表れる。

論理学者、建築家、提唱者というやつだ。
いつでもこのみっつで、
点数でいうなら、15点満点として
15点、14点、14点というふうな出方をする。

なんか、中学生の時に結果を見て自分がなぜいつも哲学的になったり、様々なことを考え込んだりして、常になにか探している感覚になるのか少し納得したと同時に、なんかこれヤバそうだなと危惧していた。

余りにも、グラフの偏りが激しいので、
型にはまっていない人生なんだな、そして
それを貫ければ楽しいけれど、そこに振り切れない場合、私は屍として生きてゆくんだろうなと、診断結果を眺めながら15才の私は軽く絶望したものだ。

案の定、生き辛い。

大人になって、やってみて、当時と同じ悲しいような気持が出てきた。
やっぱり、少数なんだなぁっていう。

多数の人の中で、気付かれないように溶け込んでいるのは特に難しくはない。
だけど、抑え込んで生きることの重さ。
毎日 錘をつけて歩いているので、体は心を代弁して痛みと怠さで毎日悲鳴をあげている。
一人になる時間、つまり休日だけで足りるわけもない。
加えて毒親育ちでHSP。終わってる。

更には、私はありのままの自分がもはや
分からないのと、それがどんななのかと自信もないので、明日も溶け込むつもり。

だって、変わりもの?として生きることは、
勇気がいる。と、思っているから。
小学生のころ、浮いていたけど、無敵だった。

それを、この排他的な現代社会でやるパワーはもうないのだ。
必ず、人と衝突するだろう。
傷つくことの方が多い。
私が言葉を選んで放たない限り、相手は傷つくことはない。
そして、傷つけることへの罪悪感にも苦しむのだ。何重の苦しみを味わう。
そんな理不尽なことが恐ろしい。

だけど、そうして解放することで私の人生はやっと、私として動くのかもしれない。

そのまえに!
どうやったらいいの?!