こんにちは! Kanaです。

ブログにお越しくださりありがとうございます!

 

 

ゴールデンウィーク後半は、母方の祖母の家に行きました。

 

祖母はコロナ禍真っただ中に亡くなり、お葬式には参列できましたが、その後お墓参りに行けていないままでした。

 

 

今回、祖母が亡くなってから初めてのお墓参りに行き

 

「あぁ、本当にもうこの世にはいないんだな」という寂しさと

 

お墓に手を合わせることができてよかった、とホッとする気持ちが混じっていました。

 

 

 

祖母は、亡くなる直前まで畑仕事をしていました。

 

一人で100玉以上の玉ねぎを植えたりと、私以上に体力があるんじゃないかと思える人でした驚き

 

祖母の部屋に行くと、眼鏡をかけて何やら書き物をしていて、見るとアルファベットのドリルびっくりマーク

 

外国人と交流することも、英語を使う機会も無い祖母ですが

 

「いくつになっても新しいことを学ぶのは楽しい」と言って勉強するような人でした。

 

 

健康への意識も高く、みのもんたの思いっきりテレビを見ながら

 

「へぇ~」

 

「はぁ~」

 

と一人ですごいリアクションを取りながら見入っていて

 

「これがいいらしい」とわかるとすぐに取り入れていました。

 

そして、歳を取ってもお肉が大好きでしたよだれ

 

 

 

今回、お墓参りの後に親戚みんなで集まって賑やかに過ごしたのですが

 

その時に初めて、祖母の若い頃の話を伯母(祖母と同居していた母の兄の奥さん)から聞きました。

 

 

image

 

 

 

お見合い結婚で出会った祖父の実家に嫁いだ祖母。

 

まだ結婚せずに実家にいた7人の義兄弟のお弁当をこしらえ、家事をこなし、義父と一緒に農家の仕事をしていたそう。

 

義母はなかなか金遣いの荒い遊び人だったそうで、農家の仕事は一切せず無気力

 

詳しい話は省略しますが、姑問題でも結構苦労したようです驚き

 

朝から晩まで義家族のために働いていた祖母。

 

時代が違うとはいえ、自分のために使えるお金も時間もないどころか、一人でゆっくりお茶を飲む時間すらなかったんじゃないかな、とネガティブ

 

祖父はその時代には珍しく会社勤めで、祖父は祖父で農家の仕事を手伝えない負い目のようなものがあったそう。

 

会社が終わるとすぐに帰ってきて、祖母たちの仕事を手伝ったり、いち早く農作業で使う機械を買ってくれたりしたそうです。

 

 

祖父が優しかったから、祖母はなんとか過ごせたんじゃないか、と伯母は言っていました。

 

 

7人のひ孫の顔も見れるくらい長生きしてくれた祖母。

 

晩年は幸せだったと思える人生を過ごせていたと思うし、そうであってほしい昇天

 

 

 

母はどちらかというと私を厳しく育てたし、母から言われた言葉や、受け継いだ思い込みなどで苦しんだこともありました凝視

 

子育てもしんどいと感じることが過去多くありましたネガティブ

 

その母のルーツである祖母の子育てがどんなものであったかはわからないけれど、同じく母も厳しく育てられたことは、母から聞く話でなんとなく感じていました。

 

 

なので、私の中で母の子育てや祖母の子育てに対する一種恨みのようなものがなかったとは言えませんむかつき

 

 

でも、今回祖母が嫁いできた頃の話を聞いて、その時代特有の空気感のようなものを感じて

 

祖母は大変な中で母を育ててくれたんだな、と感じました。

 

「そういう時代だった」の一言で片づけられるかというと、そうではないかもしれないけど

 

 

もし私が祖母の立場だったら?

 

耐えられただろうか?無気力

 

途中で音を上げていたかもしれない。

 

 

そう思うと、やっぱり、大変な中で懸命に母を育ててくれた祖母(母含め子ども3人)には感謝しかない昇天

 

 

 

伯母の話はさらに続き。

 

image

 

伯母が3人の子ども(下は1歳)を連れて祖父母と同居することになったタイミングで

 

母が下の子(私の妹)の出産で私(当時1歳)を連れて里帰りしてきたそうで

 

その頃も祖母はてんやわんやで大変だったろうなという話をしていました。

 

その時の記憶、一切無いけど(笑)

 

私が祖母なら、考えただけでも発狂しそうだオエー

 

 

おばあちゃん、ありがとう。

 

 

 

今日もお読みくださりありがとうございました花