mainanです![]()
先月、夫の父が亡くなりました。
享年57歳。まだまだこれからというのに‥
癌を3年ほど患い、治療方針はご自身の意志で全て選択してきて
何十回にも及ぶ放射線治療を行い、山ほど薬も飲んできたけれど
最後はあちこちに転移し、もうこれ以上手のつくしようが無いとお医者さんに判断されて
緩和ケア病棟に移った矢先に旅立ちました。
最後の最後まで諦めることなく、投げやりにもならず前向きに治療に取り組んでこられて
本当に前のめりに力尽きた、という気がしてなりません。
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夫が小さい頃に両親が離婚をしていて、夫はお母さん側について行ったこともあり
積極的に父子として関わり出したきっかけは、私と夫が入籍をすることになってから。
亡くなるまでの5年ほどのことでした。
それでも
私のたった7歳上の義父はまるで親戚のお兄さんのようなフレンドリーな存在で
会うといつでも可愛がってくれました![]()
結局夫も私も義父について深く知らないで終わってしまったけど
お葬式などでいろんな人から過去のエピソードなんかを聞いたりし、少しずつ義父の人生の大まかな流れを夫と共になぞっている状況です。
そうして
義父がいかに周囲の人たちから慕われ愛され
たくさんの仲間に恵まれ、そして裏切りも経験し
いろんなことにチャレンジしたり失敗したりしてきたかを知れて
長くはないけどとても濃く充実した人生を送れたのだな、と感じ取ることができました。
そんなこともあってか、今回の義父の死をきっかけに
「もう本当に、自分の人生だけに夢中になろう❗️」
そんな気持ちが自然と強く湧いてきて
自分の中で決意ともなりました。
義父は何の理論も知らなくたって、ちゃんと最後まで自分らしく
自分で選択して自分の人生ぶっ濃く生き抜いたじゃないか。
それなのに私ときたら‥
いつまで他人の編み出した理論にすがっているんだ!?
いつまで「もっとすごい何か」になろうとしていたんだ!?
もう十分やってきたじゃん‼️
その証拠に、葬儀の日も至って冷静に我を忘れず
立派に夫を支え抜けたじゃない。
まだ31歳で突然喪主に任命されて
深い悲しみの中訳もわからず、何度もパニック状態になりそうになった夫のことを
私だってろくに葬儀のマナーもわからない中で
AIや親戚や葬儀会場スタッフにいろいろ聞きながら夫を支え続けて
結果夫も本当に立派に喪主をやり遂げられたじゃないか。
ここまでできるようになれたんだから、もういいでしょ卒業で❗️アセンションとか覚醒とか本当どうでもいいよもう。
何なら
心臓が動いて身体に血が通ってるだけで
呼吸が通ってるだけで
生命活動そのものが、毎瞬すでに奇跡の連続だったんだ。
呼吸が止まり、冷たく固くなって、動かなくなって
完全に肉体というシステムが役割を終えた義父の亡骸にそっと触れたら、何だかそんな考えが浮かびました。
私にとって大切なのは
何かの教えに触れ「覚醒して才能を発揮して生きられる自分」「奇跡的なことを起こせる自分」になろうとする事じゃ無かった。
私のやるべきこと
それは
大好きなおやつやご飯を美味しいなぁと味わい
憎たらしいけど大好きな夫や娘たちと、喜怒哀楽の感情豊かに日々を過ごし
愛犬の柔らかで弾力のある肢体を抱きしめポップコーンのような体臭に癒されたり
毎日の散歩でちょっとした季節の移ろいを感じ
朝の新鮮な空気を思う存分深呼吸で味わい
美しい花々やグリーンの色彩に目を奪われたり
そんなごくごく普通のことで良かったんだ、最初からね。
そんなことはいつもやっていること
でも
「味わう・感じる」って生きている間にしか
出来ないことだから
もっともっとそれが出来なくなる瞬間まで
できるだけたくさんやっておくべきなんだ。
いつまでも他人の功績や人生に夢中になって目を奪われている場合ではなかった![]()
そしてこの味わう・感じるこそ本当の意味での
今を生きる。
やっとで気が付けた。
これこそが私の真の目覚め。
生き様で大切な事教えてくれてありがとね
かっちゃん![]()