昨日は96歳まで生きた
祖母の納骨の日でした



お葬式などはまだ坐骨神経痛の
痛みがあったため参加できませんでしたショボーン



なので納骨には行けてホッとしてます





私は3人目の孫と言うこともあり
皆女子と言うこともありか?


孫熱が低い方であることは
周りの大人の言葉で分かっていたけど


寂しいとかはあまりありませんでした


姉が最初の孫と言うこともあり
祖母は溺愛しまくりだったのは


子供の私にも分かるほどでしたが



それでも



毎年2回は
祖父母の会社の慰安旅行へ
一緒に連れて行ってもらえて


楽しい子供時代を過ごせました



祖父母の会社はいわゆる
土建屋さんと言われる会社で



職人さんが朝来て
お弁当を受け取り
夜ご飯を皆で食べて帰る



そんな会社だったので



いかつい大人がわんさか
そんな方達とご飯を食べるので



色々ルールを教わったり
遊んでもらったりとても楽しかったです


職人さん達にもそれぞれの個性があり


手品をしてくれる人

一緒になって水遊びをしてくれる人

祖父母のお家で飼ってた
ワンコの散歩に一緒に連れて行ってくれる人

パチンコの景品のお菓子を
たくさんくれる人


などなど
子供の頃に、人はそれぞれ好みも違うし
考え方も違うと環境によって学べた気がします



でも祖母の家なのに


こんにちは!!
と大きい声で言わないと職人さんに


声が小さい!もっと大きな声で!


とか言われるので
自分のおばあちゃんのお家なのになぁ。。
と思った事もあります


でも今となっては
誰にでも挨拶をする時はストレスなく
出来る大人になれたので


職人さんのお陰なんですよねおねがい


その時は何故?嫌だ!
と思う事も


月日が経つと自分のためになっていて
感謝出来るもんなんだなぁと
つくづく感謝だなぁと今は思えます



おばあちゃんも私達が大人になるに従って
孫熱が均等になってきた気がします


そして私が高校生の時に


母親との会話で
祖母の言葉にドキッとしたことがありました



母親    さあなは淡々としてて何でも気にせず
            いる子だからちょっとの事じゃ
            落ち込まないのよ!


私       ( 苦笑いして)まぁね〜



祖母     そんな事ないよ!さあなだって
             気にするよね!心は傷ついているよ
             実は一番繊細な子だよ



そう言われてとても驚き
泣きそうになったのを覚えてます


そしてその頃はポーカフェイスでいる事を
良しとしていた私は祖母に見透かされてる



と怖く感じたんですよね



でもあの時
泣きそうになったのは


魂レベルでは
やっと気付いてもらえた
もう無理をしなくていいんだ



そう感じていたように思います



そんな祖母の納骨の日



お墓で親戚達と久しぶりに会い



挨拶をしていると
おばちゃんが


おば  これさあなにって
          おばあちゃんから頼まれてたの
          私が無くなった時には渡してほしいって
          言われてたんだよ



と真珠のネックレスを渡されました笑い泣き



おば    おばあちゃんはさあなが一番
           情のある子で優しい子だと言っていたよ
           (姉やいとこ)には生きてる間に色々あげ
            たからこれは私が亡くなったら
            さあなに渡してねと言われてたんだ


そう言われてとても嬉しく
そして泣けました。。





姉が結婚する時は
バブリーな影響がまだある時で



盛大に結婚式をしたため
姉にかなりお祝い金を渡したり
ジュエリーをあげたりしてたみたいで



私の頃はもう会社もギリギリで
経営している頃で



姉に比べると少ないのは確かですが
ちゃんとお祝いしてもらえたと思っていたけど



祖母は少し気にしていたのかな。。





おばあちゃん
本当に今までありがとう


おばあちゃん
おじいちゃんのお陰で



私は豊かな人生経験が出来ました笑い泣き



そして96年間お疲れ様でした
天国でも楽しくお過ごしくださいね





さあ!私も残りの人生を
もう他人の居心地を気にする事なく



まずは自分を楽しませて
生きて行こう!!










今日もありがとう
感謝してます