私の事です。


主人は明日までショートステイです。


2日続けての雨。


やっぱり体調不良💦💦


痛み止めを飲んでもあまり効果なし。


マッサージをしてやっと少し緩和されるって感じ。


昨日は、午前中に1時間ちょっとの組の会合があり、息子は会社の会合があり、私が出席。


雨で歩いて行くので早めに家を出ようと思っていたら息子が送ってくれて行きは楽が出来ました。


(*ˊᵕˋ*)ホッ


早めに行ったから組長さんと暖まりながら世間話。


時間になり皆んな集まり会合が始まりました。


組の会計報告やら引き継ぎの話やら色々な係(役)があり、誰がなったのかとか。


順番通りにやっていけば何年後に何をやるとか心構え等が楽になるとか。





ある程度は順番通りになっている役もあるけど、


昔は

誰々にはやらせたくない、俺が俺がという人が多かったような。💦💦💦





組の役とは関係ないですが、


農家をやっている(農地のある)人がやっている『農協の協力員』というものがありますが、


農協の広報や分けものを配ったり集めたりする係なんですが。


☆この事は主人が元気な時に頑張っていた証として残します!!☆



私が結婚したのが平成2年12月。


次の年の3月には組長を2年主人がやりました。


それと同時に、先ほど書いた『農協の協力員』が隠居のおじさんから


『正章、2年やったら他の人に代われば良いからな』


と言われて引き受けました。


が、2年経って引き継ぎの時期になって関係する組の人に廻り引き継いでもらいたい事を伝えましたが、当時言われたのが


○お前の家は沢山農地があるから、お前がやればいい


○仕事が忙しいからやれない


○正章ちゃんがやればいい



こんな事を言われていました。


そして、息子が小さい時に一度家を出ました。


お義父さんやお義母さんがお義姉さんの言う事しか聴いてくれず、嫌味ばかり言われていたので、こんな所に息子を居させたくないと思って。


私も、いい加減にしてほしかったから。




息子が幼稚園の時だけだったけどね。(数年だけだったけどね。)



そしたら、当時私は婦人会に入って地域の付き合いが出来るだろう・顔と名前が覚えられるだろうと入っていました。


しかし、桂島から出た途端に婦人会の役員の人(Sさん)がアパートに来て


『小百合さん、桂島の住民じゃなくなったから婦人会辞めてほしい』


と言いに来ました。


それならば、『農協の協力員』も同じだよね。


って誰が聴いても同じ答えが出ていたはず。



が、『農協の協力員』は桂島から出た出ていたにも関わらず、そのまま引き継ぎもされず。


結果、


1991年(平成3年)から


主人がくも膜下出血で倒れた


2009年(平成21年)まで


『農協の協力員』をやらされていました。


一度も誰からも


『正章ちゃんが農協の協力員長くやってるから皆んなで話し合って順番にしようや〜』


っていう言葉もなく。



当時私が感じたのが


病気で倒れなきゃ係(役)を代えてくれないの?!この組の人達は!!


それから主人が出来なくなり、皆んなで話し合うのかなぁと思ったら誰かが


『次はMさん(隣のお宅)で良いね』


で、隣のお宅のご主人に代わりました。



それだったら最初からそうしなよ〜!!




今年、『農協の協力員』が廻ってきた時に両隣にこの事を話して


申し訳ないけど、主人は誰も引き継いでくれなくって18年もやっていたんで、今度うちに廻ってきたら一度断らせてもらうって私が心に決めていたから隣に廻してもらってもいいですか?!


隣だけに話すのも嫌だったので、訳を話して隣のお宅のご主人にお願いしました。




順番がどうとかさ、その話が出た時に正直呆れたし、『うちの主人みたいに18年役やってみなよ!!』ってそう思ったの。


都合の悪い事は、みんな忘れるからね。






でも、会合の話で順番通りにやっていけばっていう前提がありますが、その時その時で関係する人で話し合えば良いとの事。


ほぼ全員が出席していたから『知らな〜い』っていう人いたら、それこそ村社会の悪いものが引き継がれてしまいますね。




そして、昔の悪いものが知られたくもないので誰も良い人ぶる。



10年くらい前に新しく2軒入ってくれたので、それから表や裏でも良くなってきた感じがありました。


なので、新しい入ってきた2軒のおかげで助かった部分もあります。


それでなかったら未だに悪いものを引き継がれていたでしょう。



私に言いづらい事も息子に話したりは未だにしていると前に息子から聴きました。



息子が組長を引き受けてくれた時には、


『何で母さんがやらないんだ!!』


って言われたよ。って



当時主人が重度で寝たきり全介助で在宅介護を始めたばかりの時。


同じ時期には、田んぼの水を抜かれるという嫌がらせも受けていました。




隣のおばさんが気遣ってこまめに気にかけてくれていました。


他の組の人は?!


両隣のお宅が気遣ってくれていました。


(-人-)



こんな事がありました。


主人も嫌な思いをしたと思います。


当時は、お義父さんも居たので


『正章、協力員誰やるだ〜。代わってもらっただか。』


『は〜何年もやってるだから、やってくれりゃぁ良いになぁ』


って気にかけてくれていました。




お義父さん(亡)、今も気にかけてくれていると思います。(-人-)(-人-)




⬆️主人の頑張っていた証として書きました。



終わってから、ストーブの前に行き暖まってから帰りました。


組長さん、お疲れ様でした!!(-人-)



雨降りだったので傘さして杖をついて帰りました。




梅雨の時はどうなるんだ〜って思ってしまいました。💦💦💦



午後は、自治会の総会がありましたが、そちらは息子が行ってくれました。



助かりました!!(-人-)




今でこそ息子が付き合いをしてくれていますが、主人が倒れた時はまだ息子は高校生。


ほぼ誰も気にかけてきてくれた人は居ませんでした。


なので、その時に一旦全て切り、新たな関係する人たちと付き合いました。


軌道修正と優先順位を決めた事。


良くないことを言ってくる人の言葉には傾けず、しかし、言われた言葉は自分の中にとどめずに何人かの人に『あの人にこういうことを言わたんですよ。どう思いますか?!』ってね。


必ず1人ではなく何人かに話していました。


そういう嫌な言葉で自分も聞いてくれた相手も気をつけるようになるし。


嫌な言葉を言った本人は家族が困りますけどね。


それは家族に任せます!!(σ•̀ᴗ•́)σ




主人を介護して付き合っている人達の考え方も学べる機会でもありますね。


私の学びの世界です。





嫌な話も出てきましたが、主人が元気な時に頑張っていた証として書いた部分もあります。


最後まで読んでくれてありがとうございます!!(-人-)






いつも、ありがとうございます!!


(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)



⬇️いつも生えてきているけど、何だろうか?!


で調べてみたら『ハハコグサ』でした。


必然な花言葉ですね。


ありがとうございます!!(-人-)