26年になるのかな。
12月2日は、結婚記念日でした。
色々な事がありました。
結婚して、1週間も経たないうちに主人のお姉さんから弟に『あんた、昔の彼女と別れているだらいねぇ』って私がいる目の前で話していました。
そして、1ヶ月くらいしたら、主人のお母さんの妹夫婦が結婚してから初めて訪問して来ました。
そこで、ハワイのお土産で頂いたチョコレートを持って来て、みんなで食べれば良いという事で主人が箱を開けました。
(≧∀≦)(≧∀≦)。・°°・(>_<)・°°・。
主人、びっくり!!(◎_◎;)
私も、それを見て、びっくり!!(◎_◎;)
箱の中は、チョコレートではなく、ウジ虫でいっぱいだったのです。
結婚したばかりで、先行きが危ぶまれる出来事でした。
本当にそうなりました。
私は、農作業と言っても、田んぼ・たけのこは手伝い程度でしたので、何の知識もありませんでした。
お米作りでは、私が来る前までは苗づくりで失敗続きでお義母さんの実家から苗をもらうのが当たり前になっていました。
私は、心の声で『なんで、籾撒きをやってダメにして苗をもらわなければならないんだろう?』って思っていました。
数年そのままの状態を続けていましたが、本屋で、お米作りの本があったので暇をみては本屋で立ち読みしていました。
それが、本格的にやり始めたきっかけでしょうか。
初めて苗がちゃんと出来た時には、主人のお姉さんから『初めて苗を貰ってこなくても良いね。』って言っていたり、お義母さんの実家から『苗は、今年は要らんのかね』って電話がありました。
そういう経験の中での自然農法に巡り会いました。
それと同時期に障害者の余暇活動や農業体験に参加、地元で公園遊び場のお手伝いをし始めました。
自然農法を知ってから、その後に子供の幼稚園の頃のお母さんから声をかけてもらい農業体験をしている『空耳子ども会』に参加、その後に公園遊び場のお手伝いに参加、少ししたら、児童委員をしていた人から障害児の余暇活動があるのでボランティアを募集していると聴き参加。
何の知識もない中で多動の子とペアになりました。
一番大変な事は、いつも私だったかな。
目的意識の中で色々な事をやっていたので、苦にはなりませんでした。
しかし、近所では、遊び歩いているみたいに思われていたかな。
幼稚園の頃の知り合いで、酷いうつ病のおばさんとも親しくなり、何かの折には電話が来たりして農作業の途中でも出かけて行っていました。
噂で流れて来たのは、お姉さんが私が財産目当てで結婚したんだって聴いたな。
主人に話すと『俺の家の地所と、お前の家の地所と同じくらいだから気にしなくても良いんじゃないの?』って言ってくれた事。
あ~そういえばそうだなぁって納得。
自然農法に切り替えたのは私が30代の時。
その当時、聖書を読んで世界平和を唱えた時期だったな。
その当時、長老と会い『その考えは、サタンの考えだ!』って言われたっけな。
それでも、みんなに良い事だと思えたから、私なりにやり始めたな。
心が折れなかったのが救いだった。
が、主人の病気、くも膜下出血で一時呼吸停止、寝たきりになり、心が折れたな。
友達だと思っていた人たちは、みんな去っていったな。
入院中、先生・看護師さんだったり、付き添いの人だったり、患者さんだったり、色々な人と話す中で段々と気持ちが落ち着いて来たなって。
同時進行でも農作業はやっていた。
が、朝ヨーグルト1個、昼ヤクルト1個、夜は息子が居たので少し食べられていた。
数年寝られなかった時期もあったな。
寝ても、数分。
眠剤を飲んでも眠れない。
お米作りでは、水を抜かれる嫌がらせもあり。
たくさん色々な経験をしました。
それでも、在宅介護に移り、少しずつ関わり方が変わっていったので、気持ち的にも変わってきました。
実践も伴うからね。
それを黙々とやり続けていくと、ある時、気づいた。
口だけの人と、口だけではなく手も貸してくれる人の区別がついていた事。
介護は、人の目を養う時期なんだって思った事。
そして、見極め。
私たち家族の事を思ってのアドバイスか、世間体を気にしてのアドバイスかの見極め。
これらを間違えると、介護の大変さプラス精神的な苦痛がのしかかるという事。
それに気づくと、見極めが出来て、ずいぶん気持ちが楽になりました。
こういう気づいた事を伝えなくっちゃと思って、交流会やネットでも伝えていきました。
いつまで出来るかは、分からないけど、やれる所までだよね。
『あの人、介護経験があるから、何かあれば手伝ってもらおうよ』って言うのは勘弁してくださいね~。
今何もない中で、そんなわがままな人と付き合いたくないもの。
今付き合ってくれている人の中での話ならば別だけどね。
私も選ぶ権利はあるよね。笑
一時期マイナスに思ってしまっていたけど、大体はプラスに変えていっていた事が自分の中の真の部分が、ブレなかったからかな。
農作業の中で自然が助けてくれていたんだよね。
喋らない時期があったけど、喋らなくても感じてくれていたから、救われていたんだよね。
私も、段々と感じ取っていたと気づいた事。
様々な出会いを通じて気付かされた事もあったな。
主人は、記憶障害で結婚した事も忘れていますが、話は理解しているよう。
結婚記念日には、結婚しているか?聴いたら、首を振っていたので軽くゲンコツ。o(^_-)O
主人と私に関わる人は、何故か?上の人(上司や主任さんクラス)になったり、結婚したり、子供が生まれたり、良い事が増えています。
あっ、いつの間にか、ケアマネさん、主任さんになっていました。(≧∀≦)
今では、主人と私は、凸凹コンビになっていますが、いつまで続くか分からない介護ですが、ぼちぼちさせて頂きます。
あまり、言う事を聞かない時には、くすぐり攻撃をさせて頂きます。
よろしくお願いします。o(^_-)O
なんか、真面目な話から不真面目な話になったり、色々でしたが、こんなんです。笑
最後まで読んでくれて、感謝します。
ありがとうございます!
12月2日は、結婚記念日でした。
色々な事がありました。
結婚して、1週間も経たないうちに主人のお姉さんから弟に『あんた、昔の彼女と別れているだらいねぇ』って私がいる目の前で話していました。
そして、1ヶ月くらいしたら、主人のお母さんの妹夫婦が結婚してから初めて訪問して来ました。
そこで、ハワイのお土産で頂いたチョコレートを持って来て、みんなで食べれば良いという事で主人が箱を開けました。
(≧∀≦)(≧∀≦)。・°°・(>_<)・°°・。
主人、びっくり!!(◎_◎;)
私も、それを見て、びっくり!!(◎_◎;)
箱の中は、チョコレートではなく、ウジ虫でいっぱいだったのです。
結婚したばかりで、先行きが危ぶまれる出来事でした。
本当にそうなりました。
私は、農作業と言っても、田んぼ・たけのこは手伝い程度でしたので、何の知識もありませんでした。
お米作りでは、私が来る前までは苗づくりで失敗続きでお義母さんの実家から苗をもらうのが当たり前になっていました。
私は、心の声で『なんで、籾撒きをやってダメにして苗をもらわなければならないんだろう?』って思っていました。
数年そのままの状態を続けていましたが、本屋で、お米作りの本があったので暇をみては本屋で立ち読みしていました。
それが、本格的にやり始めたきっかけでしょうか。
初めて苗がちゃんと出来た時には、主人のお姉さんから『初めて苗を貰ってこなくても良いね。』って言っていたり、お義母さんの実家から『苗は、今年は要らんのかね』って電話がありました。
そういう経験の中での自然農法に巡り会いました。
それと同時期に障害者の余暇活動や農業体験に参加、地元で公園遊び場のお手伝いをし始めました。
自然農法を知ってから、その後に子供の幼稚園の頃のお母さんから声をかけてもらい農業体験をしている『空耳子ども会』に参加、その後に公園遊び場のお手伝いに参加、少ししたら、児童委員をしていた人から障害児の余暇活動があるのでボランティアを募集していると聴き参加。
何の知識もない中で多動の子とペアになりました。
一番大変な事は、いつも私だったかな。
目的意識の中で色々な事をやっていたので、苦にはなりませんでした。
しかし、近所では、遊び歩いているみたいに思われていたかな。
幼稚園の頃の知り合いで、酷いうつ病のおばさんとも親しくなり、何かの折には電話が来たりして農作業の途中でも出かけて行っていました。
噂で流れて来たのは、お姉さんが私が財産目当てで結婚したんだって聴いたな。
主人に話すと『俺の家の地所と、お前の家の地所と同じくらいだから気にしなくても良いんじゃないの?』って言ってくれた事。
あ~そういえばそうだなぁって納得。
自然農法に切り替えたのは私が30代の時。
その当時、聖書を読んで世界平和を唱えた時期だったな。
その当時、長老と会い『その考えは、サタンの考えだ!』って言われたっけな。
それでも、みんなに良い事だと思えたから、私なりにやり始めたな。
心が折れなかったのが救いだった。
が、主人の病気、くも膜下出血で一時呼吸停止、寝たきりになり、心が折れたな。
友達だと思っていた人たちは、みんな去っていったな。
入院中、先生・看護師さんだったり、付き添いの人だったり、患者さんだったり、色々な人と話す中で段々と気持ちが落ち着いて来たなって。
同時進行でも農作業はやっていた。
が、朝ヨーグルト1個、昼ヤクルト1個、夜は息子が居たので少し食べられていた。
数年寝られなかった時期もあったな。
寝ても、数分。
眠剤を飲んでも眠れない。
お米作りでは、水を抜かれる嫌がらせもあり。
たくさん色々な経験をしました。
それでも、在宅介護に移り、少しずつ関わり方が変わっていったので、気持ち的にも変わってきました。
実践も伴うからね。
それを黙々とやり続けていくと、ある時、気づいた。
口だけの人と、口だけではなく手も貸してくれる人の区別がついていた事。
介護は、人の目を養う時期なんだって思った事。
そして、見極め。
私たち家族の事を思ってのアドバイスか、世間体を気にしてのアドバイスかの見極め。
これらを間違えると、介護の大変さプラス精神的な苦痛がのしかかるという事。
それに気づくと、見極めが出来て、ずいぶん気持ちが楽になりました。
こういう気づいた事を伝えなくっちゃと思って、交流会やネットでも伝えていきました。
いつまで出来るかは、分からないけど、やれる所までだよね。
『あの人、介護経験があるから、何かあれば手伝ってもらおうよ』って言うのは勘弁してくださいね~。
今何もない中で、そんなわがままな人と付き合いたくないもの。
今付き合ってくれている人の中での話ならば別だけどね。
私も選ぶ権利はあるよね。笑
一時期マイナスに思ってしまっていたけど、大体はプラスに変えていっていた事が自分の中の真の部分が、ブレなかったからかな。
農作業の中で自然が助けてくれていたんだよね。
喋らない時期があったけど、喋らなくても感じてくれていたから、救われていたんだよね。
私も、段々と感じ取っていたと気づいた事。
様々な出会いを通じて気付かされた事もあったな。
主人は、記憶障害で結婚した事も忘れていますが、話は理解しているよう。
結婚記念日には、結婚しているか?聴いたら、首を振っていたので軽くゲンコツ。o(^_-)O
主人と私に関わる人は、何故か?上の人(上司や主任さんクラス)になったり、結婚したり、子供が生まれたり、良い事が増えています。
あっ、いつの間にか、ケアマネさん、主任さんになっていました。(≧∀≦)
今では、主人と私は、凸凹コンビになっていますが、いつまで続くか分からない介護ですが、ぼちぼちさせて頂きます。
あまり、言う事を聞かない時には、くすぐり攻撃をさせて頂きます。
よろしくお願いします。o(^_-)O
なんか、真面目な話から不真面目な話になったり、色々でしたが、こんなんです。笑
最後まで読んでくれて、感謝します。
ありがとうございます!