先日、高倉健さんがお亡くなりになりました。
謹んでお悔やみ申し上げます。m(__)m
このところ映像で思い出を流しているものを拝見していた時に目にしました。
『好きの反対は無関心である。』
やっぱり先人が言っていましたって思いました。
色々なことを言ってくる人がいると思います。
優しく言う人もいれば、怒りながら言う人もあれば、様々な言葉で言う人がいると思います。
私はふと思ったんですよ。
どんな言い方をしていても関心がなければ言ってこないんじゃないかって。
無関心であれば、何も感じる事はなく、誰が何をしても関心を示さないと思われます。
それを気づいた時に自然と感謝の言葉である『ありがとうございます。』と言葉に出していました。
もう十年くらい前になりますね。
そのことに気づいた時に見る視点も少し変わっていたので他の気づきも少しありました。
なので、聞き方も感じ方も変わってきました。
嫌だな~って感じていることは何かに気づきなさいっていう事なんだって思われます。
そこから学び取る気持ちが更に前向きになるきっかけでもあると思います。
経験しなければ気づけなかったことが、経験したことによって気づかされることって素晴らしい事なんだって思いました。
例え、経験していなくとも思いやる気持ちがあれば感じることは少しでもあると思います。
しかし、無関心を装えば、これから先で自分を苦しめてしまうかもしれません。
そこで踏ん張って逃げずに乗り越えるか、それとも踏んばらずに保留にするか。
『若い時の苦労は買ってでもしなさい。』って言われますが、それで乗り越えて免疫力をつけるかつけないかで心持が違ってくるものと思います。
歳を取ってからの苦労は体力的にも精神的にもかなり厳しいものと思われます。
同じ苦労でも、その時の自分でやれる事が変わってきます。
本当の無関心であれば、時期によって気づきがあります。
しかし、無関心を装う方はどうでしょうか?
『好きの反対は無関心である。』
気づかせていただいて、ありがとうございます。
先人がいてくれて、ありがとうございます。
どんなことでも感謝できる自分でありたいと思います。
ありがとうございます。