PTSD… | …。

先日投稿した




>>昨日も訳あって?自分でも制御不能な

号泣して…しかも突然???

モーニング食べながら。



Mちゃんママの話を夫と少ししていました。

流れでうちの実家の話にもなったんですけど


今まで、ブログに何度か書いたと思いますが…








姉がシャブに溺れ何年もの間失踪した時、






そのタイミングは、

私があの子を出産し入院している間でした。



私は、元夫と結婚するまで

子供の頃から4つ上の姉が

時に「母であり」「姉であり」と

常にお世話してくれた。


頭が良くて、綺麗で、スタイル良くて

自慢の姉だった。

でも、母親の役割もかなり担ってたから

厳しくもあったし、恋愛事情にもよく口を挟まれた。姉がすきになれない人とは

お付き合いは難しい…

姉の言うことは絶対命令みたいな所が

あった。

母親を敵視したのも、姉は相当関与していた。

クズだゴミだと言われたら。

同じくクズだゴミだと表面化させなければいけない暗黙の了解……



知らない間に支配下にいたし……

本当にお世話にもなった。

沢山のことを教えてもらい大きくもなれた。


のも間違いじゃない。



そんな姉よりも、

私が先に進んだ道は

「結婚」に「出産」



結婚相手をよく思っていなかった姉。

許せない理由は揃ってた。



生活費もいれない

デキ婚でもないのに〇ろして欲しいと

言ったこと。

結局それに従わない私を「妊娠してるから」という理由で実家に帰らせたこと。

切迫流産で入院しても、会いにも来ない、

入院費も出さない。



そんな男をよく思うわけがなかった。



私が切迫流で入院し退院した時、

姉は私を東京に呼んだ。


そして、話を始めた。



当時住んでいた麻布十番からならと

愛育病院と聖路加の資料を準備良く揃えてて



イヴちゃん「赤ちゃん東京で産んだら?」

その後も私面倒見てあげるよ?



そんな事を言ってた。



私は、かなり悩んだ。



前夫も前夫だったので。。。





でも、恋愛じゃあるまいし

何もかも姉の言うことを聞けるわけでもなく…




「産むのはやっぱり地元で…」


そう言って断りしばらくして帰郷した





帰郷してからは普通に電話は頻繁にしてて

臨月になり間もなく生まれるって時に、

姉も帰郷してくれた。



「イヴちゃんの陣痛中お世話するね」って。




私は、ベイビーが産まれたら

誰より早く姉に抱いて欲しい。

そう思ってた。



でも、ベイビーは退院するまで新生児室で

完全管理。母親以外は誰も触れられない病院でした。



退院明日。ってなった前夜。

姉は病院に来た。


「何か欲しいものは?

用意して欲しいものは?」



んー。特にはないかなぁ?



なんて、話したのを最後に…



退院の日も来ず………






姉は消えた…

東京の家からも消えた………





もうしばらく会えないから。

私なんかが赤ちゃん抱かない方がいい。





そう紙に残して……………





嬉しくて楽しみだった退院の日は





我が子の誕生の嬉しさをも打ち消して

悲しみの日に変わった………



今思えば、違うけど……

その時は





私は、自分をこれでもか?くらい責めた。



自分が姉より先に未開の地を踏んだから…

結婚なんかしたから…

子供なんか産んだから…

あの時、東京に残らなかったから………




全てが間違いだったんだと

自分を責めた…



母乳も止まる程痩せて胃潰瘍になるまで…




絶対信頼の姉が消えた…

運命も丸ごと変わった気もした…

とても不安になった



もう二度と会えないかもしれないと

覚悟したら毎日のように泣いた




それなのに…

私は、その姉に最終的に

嵌められた……

仕返しのように……


約10年後……………

私が再婚したタイミングで…









そんな過去が、映像が、突然出てきて




制御不能な涙が止まらなくなった。

恐ろしい勢いで溢れ出た。




あの時、何が正解だったのか?

訳が分からなくなり………





今となっては、縁が切れて正解だった。





でも、あの時の傷は

深く深く刻まれていて

時々生々しく蘇る




その時、凄い人間不信に陥るんだよね…





何があっても、

この人だけは

私の味方だろう…と

思ってた姉に嵌められた…




だとしたら…と



考える1番の時………




身近な人間さえ怖くなる。






今、その思い出した恐怖のさなか…。