あたりまえのことではあるのだが、ニンゲンは、すべてのことを、じぶんのじゆうに、おもいどおりにすることはできない。
特に、じぶんの「運・うんめい」というものを、じゆうに、おもいどおりにすることは、ゼッタイにできないようである。
そして、じぶんの「運・うんめい」というものは、どうやら、縁によってきめられたり、えいきょうをうけたり、左右されるようである。
つまり、「じぶんが一体、どういうニンゲン・ものごと・そんざいと、会ったり、かかわったり、接触をしているのか」ということで、その後のじぶんのじんせい・ミライ・うんめいは、おおきく変わってしまうのかもしれない。
あたりまえのことではあるのだが、狂暴でキケンのおおい、はんざい者と会ったり、かかわったり、接触をしているのであれば、あとはもう確率のもんだいで、じぶんがはんざい行為・ジケンのひがい者・ギセイ者になりやすくなる。
さらにいえば、ムリヤリ巻きこまれてしまい、共犯者として加害者になってしまうかもしれない。そうなれば、じぶんがはんざい者になってしまう。
ぎゃくに、じぶんのまわりに成功者がおおいのであれば、もしかしたら、その成功者からさそわれて、じぶんもプラスのモノを手にれるかもしれない。チャンスをもらうことができるかもしれない。
どうやらニンゲンは、世のなか・しゃかいにおいて、シゴトをし、せいかつをしている以上、まわりのニンゲン・ものごと・そんざいから、いやがおうでも左右され、えいきょうをうけるようである。
ということであれば、あたりまえのことではあるのだが、「じぶんの身のまわりに、キケン・もんだい・トラブル・モメごとのおおいニンゲンは、いないほうがよい」ということを、かんがえるようになる。
まっとうな、常識的であり、フツウのかんがえかたをしたニンゲンであれば、キケン・もんだい・トラブル・モメごとなど、ないに越したことはない。なにせ、これらがおおければおおいほど、不運・不幸な状態になり、じぶんがツラク、くるしい目に遭うのだから。
みずから好き好んで、「ツラク、くるしい目に遭いたい」というニンゲンなど、ほとんどいないはずである。
では、キケン・もんだい・トラブル・モメごとなどのおおい、こまったタイプのニンゲンと会わず、かかわらず、接触しないようにするためには、一体どうすればいいのであろうか。
おそらく、この問い・ギモンにたいする回答・こたえとして、即効性のあるモノはないであろう。
なにせ、「これから先のじぶんが、いつ・どこで、どういうタイプのニンゲンと出会うのか」ということなど、じぜんのだんかいでは、サッパリわからないし、じゆうにコントロールすることなどできないのだから。まさに縁や運次第なのだから。
とはいっても、即効性はないにしろ、長期的に、徐々に効果・成果・結果がでてくるのであろう、方法・やりかた・ノウハウというものは、いちおうそんざいしているのかもしれない。
ソレはなにかといえば、「類はトモをよぶ」という、ニンゲンがもっている原理原則・法則である。
つまり、「無いしきのうちに、似た者同士で惹かれあい、近より、あつまってくる」という、ニンゲンがもっている傾向・とくちょう・性質のことである。
身もフタもないことをいえば、「キケン・もんだい・トラブル・モメごとのおおい、こまったニンゲンが、じぶんの身のまわりにたくさんいるのであれば、ソレは、じぶん自身にも、かれらとよく似ている一面・ぶぶんが、たくさんあるから」ということになる。
キケン・もんだい・トラブル・モメごとを、たくさんもたらすという悪縁と、うまく縁を切り、会わず、かかわらず、接触をしないようにするためには、やはり、まず第一に、じぶん自身を変えていくしかないのかもしれない。