じぶん自身にたいして、たくさんのキケン・もんだい・トラブル・モメごとをもってくる、そういうタイプのニンゲンのことを、俗に「悪縁」とよぶのであろう。

 

 だがしかし、世のなか・しゃかいには、「悪縁をカンゼンに断ちきることを、つよくもとめ、のぞみ、期待する」というタイプのニンゲンは、あまりいないようである。

 

 そのりゆう・げんいんのひとつは、おそらく、「ほとんどのニンゲンは、悪縁のこわさ、おそろしさを、まったくわかっておらず、チャントりかいしていない」ということが、あるのかもしれない。

 

 あるいはまた、「たとえじぶんのまわりに悪縁があったとしても、じぶんのチカラ・のうりょくであれば、ソレをなんとかしたり、のりこえることができる」と、カン違いしているケースもありそうである。

 

 コレは、「じぶんのもっている、ずのう・のうりょく・さいのう・知能・じつりょくを、じっさいのレベル以上にたかいと過信し、カン違いし、うぬぼれている」という状態かとおもわれる。つまり、ごう慢な発想・かんがえかたといえそうである。

 

 こういうタイプのニンゲンは、「じぶんだったら、たとえ悪縁がそんざいしていても、なんとかなるだろう」という、キケンで不用心なかんがえかた・発想をしそうである。そのために、悪縁のおそろしさ、こわさを、まったくりかいせず、にんしきしていない。

 

 じぶんのチカラ・のうりょくを過信し、うぬぼれており、ごう慢な発想・かんがえかたをしている。そして、悪縁のこわさ、おそろしさを、まったくりかいせず、にんしきしていない。どうやら、世のなか・しゃかいのニンゲンのほとんどは、こういうタイプのようである。

 

 だがしかし、世のなか・しゃかいには、キケンで凶悪なはんざい者と会ったり、かかわってしまったせいで、「はんざいジケンのひがい者・ギセイ者になってしまった」というケースがそんざいしている。

 

 あるいは、巻きこまれてしまい、「じぶんがいつの間にか、はんざい行為の共犯者になってしまった」というケースだってあるであろう。

 

 もしもホントウに、ニンゲンが、じぶんの意思・のうりょく・チカラで、悪縁をカンゼンに断ちきることができるのであれば、これらのケースというものは、ほとんどなくなるのではないだろうか。

 

 あるいは、ガッコウ・しょくばで、ヒドイないようのイジメ・さべつ・パワハラをうけたとき、じぶんの意思・のうりょく・チカラでは、どうしようもなかったはずである。ソレを阻止し、ふせぐことは、できなかったはずである。

 

 そして、イジメ・さべつ・パワハラというものは、加害者がいるから発生し、そんざいしているのである。つまりコレもまた、「ニンゲンかんけい」の一種といえそうである。

 

 ワルイないよう・イミ・カタチでのニンゲンかんけいが、そこにそんざいしている。加害者とひがい者という、ふたつのタイプのニンゲンが、そこにそんざいしており、おたがいに会ったり、かかわったりしている。

 

 つまり、ニンゲンかんけいがそんざいしている。だからこそ、イジメ・さべつ・パワハラがそこにおきてしまう。もしも加害者がそこにおらず、ひがい者だけしかいないのであれば、イジメ・さべつ・パワハラというものは、そこには発生せず、そんざいしないはずである。

 

 こういうケースにおいても、ひがい者・ギセイ者は、イジメ・さべつ・パワハラというものを、じぜんのだんかいで阻止し、ふせぐことはできなかったはずである。つまり、じぶんの意思・のうりょく・チカラで、悪縁がもたらすキケン・もんだい・トラブル・モメごとを、どうすることもできなかったといえる。

 

 どうやらニンゲンは、そこに悪縁がそんざいしているのであれば、じぶんの意思・のうりょく・チカラでは、どうすることもできないようである。ソレがもたらすというキケン・もんだい・トラブル・モメごとを、じぜんのだんかいで、すべてカンゼンに阻止し、ふせぐことはできない。

 

 ということであれば、しぜんな視点・発想・かんがえかた・スタンスとして、「だったら、悪縁をみつけ次第、すみやかに断ちきり、つぶし、けずり、消去すべきだ。そうすれば、キケン・もんだい・トラブル・モメごとが、じぶんにたいしてやってこなくなる」ということが、アタマにうかぶのではないだろうか。