むかしから、「じんせいは縁だ」といわれるが、この縁については、じぶんにたいして、プラス・りえき・メリットをもたらすという「良縁」よりも、マイナス・不りえき・デメリットをもたらすという「悪縁」のほうが、すぐに気がつく。つまり、目につき、目立つかとおもわれる。
そして、じぶんがもっている「悪縁」というものは、すぐにアタマにイメージが湧くし、おもいうかべることができる。
今までのじんせいで、じぶんにたいしてヒドイことをいったり、おこなったりして、キズつけてきたようなタイプのニンゲンが、まさに「悪縁」かとおもわれる。
こういうことは、ガッコウ・しょくばなどで、ヒドイないようのイジメ・さべつ・パワハラなどを、一度でも経験したことがあれば、すぐにアタマにうかぶかとおもわれる。
そのじぶんの悪縁というものを、どこかにカンタンにすてることができる場があれば、とてもたすかる。
いわゆる「縁切り」というものを、スムーズにおこなうことができれば、じぶんにたいして振りかかってくる、キケン・もんだい・トラブル・モメごとなどは、カナリかずがへりそうである。
だがしかし、そういうベンリなばしょは、世のなか・しゃかいには、まずそんざいしていない。ということであれば、じぶん自身がいしきして、チャントかんがえて、縁を切っていかなければならない。
あたりまえのことではあるのだが、「ぜんいんと仲よくする」ということは、ゼッタイにムリであり不可能である。
ということであれば、ニンゲンが生きていれば、「コイツとは、もうコレ以上会ったり、かかわってはいけない」というタイプのニンゲンと、どこかでかならず出会うかとおもわれる。
そういうときに、その「悪縁」というものを、可能なかぎりすばやく、そして的確にすてることができるのかどうか。ということが、いきていく上で、ひつよう不可欠になるのかもしれない。