じぶんの発言・おこない・たいど・ふるまい・言動などが、やがて、じぶんのミライのかんきょう・状況をつくりあげる。ソレもすぐにではなくて、24年以上先になって。
つまり、じぶんが蒔いたタネが、おおきく成長してそだった」といえそうである。そして、あたりまえのことではあるのだが、タネとはちいさなモノであり、タネからでた芽は、とてもちいさなモノである。
そのために、じぶんが蒔いたタネが芽吹いたとしても、ソレはさいしょは、とてもちいさなそんざいにすぎない。
だがしかし、どれほど巨大な巨木・大木であっても、さいしょに芽吹いたときは、とてもちいさいはずである。そのちいさな芽が、何十年も経つと、巨大な巨木・大木になるのである。
すぐにおおきくなることはないが、時間がけいかするにしたがって、すこしずつおおきくなるはずである。そして、20~30年後には、巨木・大木に成長するのだ。
この巨大な巨木・大木を例にしてかんがえてみると、「じぶんが蒔いたタネが、やがて、じぶんにたいして跳ねかえってくる」ということが、よくわかりそうである。
あるとき、なにかの発言・おこない・ふるまい・言動をしたとする。あるいは、なにかの体験をしたとする。たしかにそのときは、とてもちいさなことにすぎない。
そのために、「すぐにおおきな影響・へんかをもたらす」ということは、あまりないかとおもわれる。
だがしかし、そのちいさなタネは、時間がけいかするにしたがって、やがて巨大な巨木・大木にそだつことがある。
そして、だいたい24年以上もすれば、そのちいさなタネは、巨大な巨木・大木になっているかとおもわれる。
げんじつの樹木が、24年もすれば、巨大な巨木・大木にそだっているように。
こういう視点・発想・かんがえ・スタンスに立ってみると、「若いからといって、なんでもかんでスキ勝手にする。たにんをキズつけたり、ワルイこと・ヒドイことをする」ということは、カナリのリスク・キケン性をともないそうである。つまり、アブナイ行為といえそうである。
なにせソレは、24年以上経ってから、つまり、じぶんが30代の後半から40代くらいになり、じんせいの後半になってから、おおきな成果・結果・効果となって、じぶんにたいして跳ねかえってくるかもしれないのだから。
そして、あたりまえのことではあるのだが、じんせいの後半にはいったのであれば、取りかえしがつかないこともおおいであろう。
今さらシゴトを変えたりして、じんせいをやりなおすことは、カナリむずかしいはずである。
ということであれば、若いからといって、キケンでムチャクチャなことをしたり、はんざい行為をおこなったりするのは、ながい目でみてかんがえれば、カナリ分がワルイ行為であり、リスクとリターンを比較してみれば、あっとうてきに、リスクのほうがおおそうである。
ときどき、「若いんだから、なにをやってもいい。たとえ道をまちがえたり、おおきなミス・しっぱい・はいぼくをしたり、はんざい者になったとしても、またやりなおすことができる」というイミのコトバを聞いたりするが、コレはもしかしたら、げんじつてきではないのかもしれない。
たしかに、世のなか・しゃかい・せけんには、若いころにおおきな過ちをしてしまい、更生して、じんせいをやりなおしたニンゲンもいるかとおもわれる。
だがしかし、こういうタイプのニンゲンは、ぜんたいからみれば、おそらく、カナリの少数派ではないだろうか。
むしろ、「若いころに犯した、バカな過ち・はんざい行為のせいで、取りかえしがつかなくなってしまった。のこりの数十年のじんせいを、すべて棒に振ってしまった」というケースのほうが、あっとうてきにおおいような気がする。
因果応報・自業自得という視点・発想・かんがえ・スタンスに立ってみると、こういうことがいえるのかもしれない。