司馬遼太郎が指摘したとおり、ロシアはひろすぎる領土をもっているために、なにかもんだいがおきたとき、うまく対処・たいおうをするということが、できていないのかもしれない。

 だから、チカラづくでソレをかいけつしたり、おさえこんむカタチになりそうである。つまり、「武器や軍事力を重視する」という、視点・発想・かんがえかた・スタンスになりそうである。

 

 ロシアはどうやら、モンゴルの支配を脱してから、帝政ロシアやソ連の時代、そして、今のロシアもふくめて、この「武器や軍事力を重視する」ということを、ヤメルことはできそうにない。

 おそらく、今のひろさの領土を維持しようとすれば、こういう視点・かんがえかた・発想・スタンスというものを、どうしても、もちつづけるのではないかとおもってしまう。

 

 ぎゃくにいえば、もしもロシアが、今よりも領土がちいさくなれば、この「武器や軍事力を重視する」ということが、すこしはよわくなり、うすくなるのかもしれない。

 領土がちいさくなれば、国境を接する国のかずが、しぜんとへることになる。となれば、「自国にたいして攻めてくるかもしれない、仮想敵国のかずがへる」というカタチになる。

 また、領土がちいさくなれば、「国内にかかえる、ちがう宗教・伝統・かちかん・文化・言語をもった、民族のかずがへる」ということになるであろう。つまり、「ロシアから、分離どくりつをのぞむニンゲンもへる」ということになる。

 

 こういう事態になれば、もしかしたら、「そこまで武器や軍事力を重視しなくても、いいかもしれない」という気になるのかもしれない。

 だがしかし、今のロシアが、「領土を手ばなして、ちいさくする」という視点・発想・かんがえかた・スタンスを、もつようになるとはおもえない。そういう選択をするとはおもえない。

 

 ロシアの領土がちいさくなるとすれば、その可能性として、「国内において、ロシア人のかずがへり、ほかの民族のかずがふえた。そして、ロシア人がすくないか、ほとんどいない地域がふえて、そこがロシアから分離・どくりつして、けっか的に、ロシアの領土がちいさくなった」というケースかとおもわれる。

 たしかに、「ロシアにおいては、ロシア人の出生率が、あまりたかくないのにたいして、イスラム教徒など、ほかの民族のほうが出生率がたかい。そのために、ロシア国内においては、ロシア人の占める比率・わりあいが、ダンダンとひくくなっている」という指摘を聞いたり、読んだりしたことがある。

 

 ということであれば、もしかしたら、何百年という単位であれば、「しぜんとロシア人のかずがへって、ロシア人が非主流派であり、少数派となった地域・ばしょがふえてきて、そこが、ロシアから分離・どくりつする。そのために、ロシアの領土がちいさくなる」ということが、いずれはありえるかもしれない。

 こういう状態が、ホントウにじつげんしたときにこそ、ロシア人は、何百年も伝統的にもっている、「武器や軍事力を重視する」という思考方法を、つまり、視点・発想・スタンス・かんがえかた・スタンスというものを、変えることができるのかもしれない。

 ならば、ロシア人がかわるとすれば、その可能性があるのは、何百年も先のことになりそうである。