最近、世の中の大人が言う「世間の厳しさ」というものが、「人間社会の実態」というものなのかな...?て思うときがあります。

例えば、とある人間がいて、その人は仕事ができなくてコミュ障で、特に悪意なく礼儀作法を間違える人だったとします。

すると、その人のやらかしが全部その人やその人の家族に帰ってきますし、そのひとのよくない評判が伝言ゲーム方式に広まっていきます。人間ってどこかでつながってるから、その対象の人に出くわすと、「ああ、こいつってわけね」となります。

当然、それが理由でいじめに発展することもあります。

そういう人に限って人に助けを求めますが、誰もその人を助ける気にはなりません。

メリットがないし一緒にいて不快ですから。それだけです。

ですのでそのひとは自分で自分を助けるしかありません。

このように、世の中はすべてのことに人が関わる以上は、やらかした分だけ「生きる」ことに制限がかかります。

無意識でも悪気がなくても脳の特性であっても、きつい言葉遣いをしてしまっていれば、きつい言葉遣いをされる上にぞんざいに扱われます。

やったことの100倍以上あるいはもっとそれ以上のことが返ってくると思います。

というのも、自分がどこかで100倍以上返してしまったのかもしれませんね。

できる限りの最大限の思慮と礼儀をもって社会に関わらなければならないんじゃないのかな。と思ったりします。

世界がそう見えるのも、そう見えるだけのことをしたのかなー。とか考え出すと頭の中がぐるぐる回っておかしくなりそうなのでこれ以上はやめておいて、「すぐ怒らない」「負の感情は顔に出さず常に、できるだけ明るく」と言った具合に具体的に一個一個心がけていきます。

当たり前のことを言ってしまいましたが、最近の出来事で改めて実感したのと、そのときに湧いた感情が抑えられそうにもなかったのでこのブログに書かせていただきました。

とにかく、今の自分は何も経験してなくてスキルがなくって仕事もしてないからこんなこと書いても説得力ないと思います。

なので、今はできることをやります。