いつもお読みいただきありがとうございますラブ







​タフな祖母






真夜中に目が覚めて

うとうとしつつも

頭の中で次から次へと

考えがぐるぐる🌀

眠れない日もあります





という今まさしく真夜中に覚醒中えーん





ぐるぐるの頭の中で

突如今は亡き祖母を思い出しまして

綴る事にしました






祖母には

可愛がってもらった記憶は

正直無いですが笑

晩年

うちの子は大層可愛がってもらいました

初めこそは

「親に似ずよう喋る五月蝿い子だね」

と邪険にしておりましたが

幼い頃は

人懐っこい子でしたので

段々と可愛く感じてもらえたようでした





曽祖母と曾孫の毎日は

曽祖母の自宅裏の広い畑







祖母は若干15歳の若さで

山形の親元を離れ

ひとり北海道へ

住み込みで農作業の仕事をしに

来道した人です






祖母は自分の事をあまり話す人ではなく

(友人には話してたかもです)

ただよく

兄妹の中でも1番

負けん気が強く

身体も丈夫で健康だったので

15歳で1人でこっち(北海道)

に働きに来た

と話していました

(詳しい経緯は不明です)






15歳の若さで

しかも女性で

その時来道したのは

祖母1人だけでした





今ではあまり考えられない事ですよね





見かけも女性というよりは

男性性味が強い祖母で

(しかし祖母以外のご兄妹はなんと美形)

言葉使いも

方言が混じっているせいか?

超絶ガサツな感じです笑い泣き






ですが意外な事に

祖父との結婚は

その当時多かったお見合いではなく

恋愛結婚だったと

亡くなる2、3年前に

話しておりましたおねがい


この2、3年間は

何か質問すると少しですが

話してくれたのです

なんとなくもう長くは無いと

お互い感じたのでしょう

私も祖母自身のことを

少しでも知っておきたかったのです






祖父はサラリーマンでしたが

(これまた意外笑)

黙っていられない活動的な祖母は

18歳で結婚するも

女手ひとりで

農家を切り盛りし

5人の子どもを産み

お米を作っていました

読み書きは新聞の文章を真似て

こっそり練習

50歳で自動車の免許証取得

60歳でハワイへ旅行✈️

晩年も家庭菜園というには

広すぎる畑を世話していました






15歳で親元を離れ

知ってる人も誰もいない

知らない土地へ行くのは

凄く心細かったし

来てからも暫く

ホームシックになったそう

でも連絡手段は

手紙しか無く

文字を読む事は出来ても

当時文字を書けず

また親に弱音を吐くことも

出来なかったとの事

この時初めて

祖母の柔らかい部分に

触れた気がしました


が、

積極的でメンタルも非常にタフな祖母

2、3ヶ月後には

そんな事も思わなくなったと


私はいつまでもしょげた事ない

だから気が落ちるのが分からんし

あんた(私)や自分の妹みたいに

痩せてて

よう身体弱い人信じられん

(何故そんなに具合いが悪くなるのか?

わからない)

と笑っておりました笑い泣き




そんな祖母

病魔に侵され認知の症状が強くなった時

私の事はちょっと曖昧になりつつも

うちの子の事は

幼い頃を思い出し

名前も思い出し


○○ちゃん

あんたいつもひとりで可哀想だもんな


聞いたことのない優しい口調で

話していたのが

祖母との最後の会話でした




祖母は昔の人なので

娘以外の女性(孫や曾孫も)を

可愛がる事は

後にも先にも

うちの子だけでした


曾孫であるうちの子の存在は

しっかりと刻まれてて

信頼関係があったのだと

感じた会話でもありました



祖母のように

昭和初期の女性は

心も身体もタフだったのかな?と

そうでなくては生きられない時代

でもあったのでしょうが

見知らぬ人を自宅に住み込みで雇う

というような

対面での人との繋がりも強く

自分の足で歩く機会も多く

今ほど情報もなく脳疲労度合いも少ない

だからこそ

タフでいられたのかな?と



こんな朝方まで思う私でした笑い泣き

不健康の極み笑








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