今ここに生きる理由がきっとある -23ページ目

今ここに生きる理由がきっとある

ブログの説明を入力します。

みなさん本願寺の記事書かれてますね。 行きそうにない人も行ってたのでちょっと驚き。

羨ましいっ!! 






週末、再び新宿歴史博物館へギャラリートークを聞きに行ってきました。


前回の記事は→コチラ

担当学芸員さんは、高須四兄弟を扱った展示会は初めてで、大盛況ドキドキなんですよ~とホクホクしてましたよ。

だよねー、講演会の当選倍率2倍以上だったもん。

ギャラリートークもぎゅうぎゅうでした汗 


で、
(わたしが)今まで気にもしなかった事を教えて頂きましたビックリマーク

よく見かける大政奉還の絵
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ピンク矢印が容保様で青矢印が定敬くんなんだってビックリマーク
知ってましたはてなマーク 
じゃあ、左側の3人誰なんだろうってね。


それから、慶喜さんと四兄弟の関係なんだけど

いとこ

慶喜さんのパパ(斉昭さん)の妹さんが四兄弟のパパ(義建さん)と結婚していたんです。

だから、本家尾張よりも水戸との関係のほうが深かったみたい。

慶勝さんと慶喜さんが顔似てるのも納得。


※高須藩は尾張藩の分家なんです。3万石と小さくてお城もない藩なのですが、尾張の分家ということで、格式は高く参勤交代も免除されてます。



で、話は幕末よりさかのぼって・・・

高須藩上屋敷は荒木町という場所にあります。 

上屋敷の絵には、車力門という門が描かれていて、車輪の絵が描いてあるんですね。
役目としては業者さん用の搬入口だったようです。

その車輪の絵が、あの荒木村重が着ていた着物の柄と同じなんです。

↓これね。
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信長に刀に刺したお団子(お饅頭?)食べさせられてるとこ。

こんなお団子食べたくない!!№1です。



田中哲司さんが熱演されていましたよね。

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その門があったと思われる場所から続く通りを車力門通りといいます。

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初代摂津守


車力


荒木町


荒木村重と関係があるのでははてなマークとおっしゃっていたのは、前回の町巡りで同じ班だったとんかつ屋さんのご主人。 

前回の記事に入れようと思ってたんですけど、忘れてましたw


ちなみに新宿は開発の際、土地の調査を全くしていないので、藩邸がどこにあったかとか正確な位置を判定することは不可能だそうです。




まだ続きます


国会図書館で開催中のあの人の直筆


見てきました。 18日までなので。 


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手紙でおなか一杯になりました。


河上彦斎さんの直筆が見られたのが良かったビックリマーク 


あとは大鳥ちゃんの流落日記。 レプリカが作ってあって実際手に取って読めるんですけど、あれってすっごい小さいんですね~、手のひらサイズです。


5月18日の五稜郭落城から6月29日の千住に着くまでの日記で、結構役に立つ日記なんだけど、とにかく読めない・・・あせるあせる なので、活字にしてほしい。

近デジから見れます→流落日記



龍馬さんの新政府綱領八策がトレースできるっていうコーナーがあったので、やってきましたが


これって・・・、何が書いてあるか分からないとトレース出来ないですよね(´□`。)


途中でいろいろ見失ってましたwww
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でも、面白かった。


これをブログにあげる自分の度胸に驚くわ。



来週はこれを見に行ってきます。 

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②の続きです


⑦京屋忠兵衛跡 《中央区天満橋京町3-6》

八軒屋船着場の跡の碑の近くのフロマージュ天満橋店のところ。(チーズ屋さん)
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文久3年6月2日に宿泊したときは、力士との乱闘事件をおこしています。

慶応2年1月19日、龍馬さんの護衛をしていた三吉慎蔵が八軒屋で検問をしている新選組を目撃してるそうです。


チーズ屋さんの隣の隙間から船着場の名残の石積が見られます。
○のところがチーズ屋さん、矢印のところから石積

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前島密の像 《近畿郵便局前 中央区北浜5》


勝さん(井上勝)、山尾庸三と箱館留学時代同級生だった前島密。

先生は五稜郭を設計した武田斐三郎さんです。


明治になって勝さんは鉄道の父に。山尾は工業の父に。密さんは郵便の父に。1円切手は密さんです。{7BC5914B-7073-4C92-9F88-1D5F82D12622:01}


五代友厚の銅像にも挨拶したかったな~。薩摩藩士のくせに(笑)イケメンなんだよね♡

カッコいいだけあって宇和島の姫という名のオナゴがあちこちにいたとかいないとか。

(←宇和島藩の姫へのお土産と言って、外国でたくさんアクセサリーを購入してたとかしてないとか)


・・・あ、五代さんネタはソース不明なので、信じないでくださいあせる イケメンは信じていいです。



⑧内山彦次郎殺害の地 《天神橋》

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大阪西町奉行所の与力だった内山彦次郎さん、元治元年5月20日夜に何者かに殺害されました。

新選組によるものだと言われています。



⑨平野屋五兵衛邸跡 《中央区今橋1-5》

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文久3年、だんだら羽織を作るために、新選組は100両借りてます。




⑩旧鴻池本宅跡 《中央区今橋2》

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大阪両替商といえば鴻池。

近藤さんの佩刀、虎徹は鴻池が送ったものと言われています。

鴻池本邸の表屋は奈良市鳥見町に移築され【みやけ】というカフェになっているそうです。


つづく
11日に築地本願寺であった公開講座・・・

寝坊して行けなかった!!

楽しみにしてたのに(。>0<。) 

あ~、バカだ~。


はい。気を取り直して。


今回の大阪ツアーにこれ持っていったら、かなり役立ちました。

おすすめです 大坂の史跡探訪 大阪龍馬会のHPから購入可能ですドキドキ
調べてくださったブロ友さん、ありがとうございます(。-人-。)

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前回の続きから

⑤ぜんざい屋事件の跡  《中央区瓦屋町1-11-1》{D08AF7DA-8BC1-4F2E-BFEE-2E612431A3A0:01}

ぜんざい屋って甘味屋なのか、それとも何か他に意味があるのか、ずーっと気になってたんですけど、解決ビックリマーク

甘味屋でしたークラッカー  


浪士がカフェでオフ会とか、スイーツ男子の先駆けかよ!と、思ったけど表はカフェだけど裏で危ない事してるお店ってイメージみたいφ(.. )  古高俊太郎さんのお店みたいな。


ここで、プチ解説。

ぜんざい屋事件とはパー

新選組隊士で大阪で剣術道場を開いていた谷三兄弟の真ん中、万太郎兄さんが石蔵屋というぜんざい屋で、土佐藩の浪士たち(土佐勤王党のメンバー)が潜伏しているという情報をゲット。

浪士たちは大阪市中に火を付け、その混乱に便乗して大阪城を乗っ取るとか、大阪城を焼き討ちするとか、将軍暗殺を目論むとか、そんなことを計画していたようです。

京都の本店に連絡している時間は無いと判断した万太郎兄さん、三十郎兄さんと道場の生徒さん2人を連れて4人で襲撃しちゃいます。
それが元治元年1月8日のこと。
その日、石蔵屋にいたのは2人。そのうちの1人、大利鼎吉さんを討ち取りました。

わたしはこれを池田屋事件大阪バージョンと呼んでいるw


石蔵屋の前には碑が建っていて、筆跡は土佐藩士田中光顕のもの。

贈正五位大利鼎吉遭難之地
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大利鼎吉は土佐藩の勤王志士なり この地に潜伏中慶応元年正月8日新撰組の兇刃に斃れる 年24
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田中光顕が新選組を目の敵にしてたのって、この事件があったから?興味がないから知らないのだが。



この後天満橋駅で一旦解散、お昼休憩後また集合して、八軒家付近を回りました。



お昼休憩の時間内に、今回のルートに含まれていない場所にも連れて行っていただきました。

ありがとうございます(。-人-。)



☆八軒家船着場の碑のちょっと先、三橋楼という料亭が江戸~明治時代にありました。

その三橋楼の跡へ続くこの階段が船着場の名残りじゃないかと言われているそうです。{B174DCC2-546E-4055-9177-A217530D4A81:01}


☆三橋楼跡 《中央区石町1-1-11》


慶応4年11月16日、近藤さんの名前で献金依頼を加賀谷徳兵衛さんが三橋楼に出向いて受け取っているそうです。(←ややこしいあせる


今はマンション。

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明治8年1月8日、桂さん、大久保さんがここで対談中、黒田清隆が乱入。泥酔して大暴れして対談をぶち壊す事件があったとか。

これって、ブチ切れした桂さんが清隆をぐるぐる巻きにして放り出したってあの話の時なのかな。

だとしたら、ちょうど立ってたあたりに清隆が転がってたのかも。と思うと笑えてくるwww



⑥八軒家船着場の跡 《北区天満橋京町2-10》

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京都~大阪を結ぶ三十石船の発着場でした。

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川沿いを歩くと常夜燈があります

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この常夜燈は新しいものですが、もともと立っていたもの(万延元年・1860年建立)が生國神社の北門に移築されています。



古写真にも常夜燈が写っているのが分かります。

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つづく