みなさん本願寺の記事書かれてますね。 行きそうにない人も行ってたのでちょっと驚き。
羨ましいっ!!
週末、再び新宿歴史博物館へギャラリートークを聞きに行ってきました。
前回の記事は→コチラ
担当学芸員さんは、高須四兄弟を扱った展示会は初めてで、大盛況
なんですよ~とホクホクしてましたよ。
だよねー、講演会の当選倍率2倍以上だったもん。
ギャラリートークもぎゅうぎゅうでした
で、
(わたしが)今まで気にもしなかった事を教えて頂きました
よく見かける大政奉還の絵
ピンク矢印が容保様で青矢印が定敬くんなんだって
知ってました
じゃあ、左側の3人誰なんだろうってね。
それから、慶喜さんと四兄弟の関係なんだけど
いとこ
慶喜さんのパパ(斉昭さん)の妹さんが四兄弟のパパ(義建さん)と結婚していたんです。
だから、本家尾張よりも水戸との関係のほうが深かったみたい。
慶勝さんと慶喜さんが顔似てるのも納得。
※高須藩は尾張藩の分家なんです。3万石と小さくてお城もない藩なのですが、尾張の分家ということで、格式は高く参勤交代も免除されてます。
で、話は幕末よりさかのぼって・・・
高須藩上屋敷は荒木町という場所にあります。
上屋敷の絵には、車力門という門が描かれていて、車輪の絵が描いてあるんですね。
役目としては業者さん用の搬入口だったようです。
その車輪の絵が、あの荒木村重が着ていた着物の柄と同じなんです。
↓これね。
信長に刀に刺したお団子(お饅頭?)食べさせられてるとこ。
こんなお団子食べたくない!!№1です。
田中哲司さんが熱演されていましたよね。
その門があったと思われる場所から続く通りを車力門通りといいます。
初代摂津守
車力
荒木町
荒木村重と関係があるのでは
とおっしゃっていたのは、前回の町巡りで同じ班だったとんかつ屋さんのご主人。
前回の記事に入れようと思ってたんですけど、忘れてましたw
ちなみに新宿は開発の際、土地の調査を全くしていないので、藩邸がどこにあったかとか正確な位置を判定することは不可能だそうです。
まだ続きます
国会図書館で開催中のあの人の直筆
見てきました。 18日までなので。
手紙でおなか一杯になりました。
河上彦斎さんの直筆が見られたのが良かった
あとは大鳥ちゃんの流落日記。 レプリカが作ってあって実際手に取って読めるんですけど、あれってすっごい小さいんですね~、手のひらサイズです。
5月18日の五稜郭落城から6月29日の千住に着くまでの日記で、結構役に立つ日記なんだけど、とにかく読めない・・・![]()
なので、活字にしてほしい。
近デジから見れます→流落日記
龍馬さんの新政府綱領八策がトレースできるっていうコーナーがあったので、やってきましたが
これって・・・、何が書いてあるか分からないとトレース出来ないですよね(´□`。)
これをブログにあげる自分の度胸に驚くわ。
来週はこれを見に行ってきます。







