新選組最後の隊長・相馬主殿と陸軍奉行添え役・野村利三郎 | 今ここに生きる理由がきっとある

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先週、あさくらゆう先生の講演会へ行ってきました


テーマは 新選組最後の隊長・相馬主殿と陸軍奉行添え役・野村利三郎


相馬が大好物なわたしにぴったり( ´艸`)


レポの前に、副長から旧富澤家で旅硯九重日記が買えるということを聞いたので、講演会前に行ってきました。


多摩センター駅から近い、中央公園の中にあります。


どどーんと大きな門が!
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こちらが旧富沢家

わたしはここからじゃなくて、通用門的なとこから入ったんですけどね笑


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入場無料

写真撮影禁止だったので写真はありませんが、欄間と襖絵が見事でした。

ここは明治天皇や皇族の方が、行幸や行啓した際に『御小休所』として利用された家でもあります。


欲しかった日記がこれですサゲサゲ↓
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富澤さんが元治元年1月3日、十四代将軍家茂公の上洛の際、随行した時の日記。

天然理心流の門人でもあった富澤さんが、京都で試衛館メンバーと島原行ったり、お花見したり。なんてことが書いてあります。


で、購入するとき

『古文書研究されるんですか?』って聞かれました・・・(((( ;°Д°))))

前回、津雲邸に行った時は『歴史の研究してるの?』って聞かれてます・・・


そんな雰囲気出してるのかな(°Д°;≡°Д°;)


『ただの趣味です(・ω・)/』 って答えます。


旧富澤家を後にして、ブロ友さんと池田屋行って買い物して、講演会会場へ


ここからは、いっしー渾身のレポを←大げさ

☆相馬主殿:笠間藩士
・1863年(文久3年)7月19日『心得違い』で押込処分 ※飲み過ぎ
・1866年(慶応2年) 脱藩して幕府歩兵隊に志願 ※神奈川歩兵隊に入隊。この時古屋佐久左衛門、竹中重固がいた。
・1866年(慶応2年)6月 長州征伐に参加。周防大島攻撃のために伊予松山にて待機。
☆野村利三郎:詳細不明
出生地は近藤さんが処刑された後、身元請負人が旗本加藤平内だったことから、加藤さんの領地である岐阜の公郷村か?
・幕府歩兵隊に入隊。1865年(慶応元年)12月頃、長州征伐のために幕府歩兵隊が大阪城に来てるので、そのころに入隊したか、神奈川で入隊したのかは不明。

☆相馬&野村
・1867年(慶応3年) 兵制改正のため新選組に入隊
・1868年(慶応4年)5月 彰義隊に加わる。6月 彰義隊瓦解後、春日左衛門の陸軍隊に加わる

☆野村
1869年(明治元年)3月25日 宮古湾海戦で戦死

☆相馬
1870年明治3年10月 新島へ流罪
1872年明治5年10月 赦免され東京へ
1873年6月2日 豊岡県へ出仕 ※この時の上司は大野右仲
1875年8月2日 免出仕 ※大野さんが派閥争いで負けたため
これ以降、相馬の行方は不明
明治11年までは存命だったと思われる。
自害したというのも、怪しいということ。 ←驚いた①


★おまけ★
・宮古湾海戦の当時の記録でガトリング砲で撃たれた人という記録はない。
春日からたくさん鉄砲を打ちこまれたので、それがガトリング砲と勘違いしたのではないか。と思われる。
春日の指揮官は黒田清隆 ※画像参照

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・新島で相馬の面倒をみていた植村家のまつさんと結婚する約束までしたかもしれない。
まつさんの戸籍(?)を調べてみたが、まつさんが相馬と結婚をしたという記録はない。←驚いた②


以上、レポでした。


講演会終了後、関東にはいない人に声をかけられ・・・

ヽ((◎д◎ ))ゝ

驚いた~③

こんなことってあるんですね。

でも、会えて良かった♪


3人でわちゃわちゃしてたら、あさくら先生と握手とか一緒に写真撮ってもらうとか、

全部忘れた。