同じ企画の講演会は3つとも落選・・・(´□`。) ついてないなと思ってたら、こっちが当選したのでなんとか気持ちが落ち着きました笑
珍しいですもんね、兄弟揃っての展示&講演なんて。
高須四兄弟とは
尾張藩主・徳川慶勝(次男)、一橋家当主・一橋茂栄(五男)、会津藩主・松平容保(七男)、桑名藩主・松平定敬(八男)の四兄弟のことである。
ちなみに茂栄さんは慶喜さんが将軍になったあとの当主です。
戊辰戦争では新政府・兄VS旧幕府・弟で争いをすることになってしまったんです![]()
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新宿歴史博物館特別展→津の守坂→高須藩上屋敷跡(金丸稲荷)→策(むち)の池(津の守弁財天)→自證院→会津ヶ原跡→西光庵(徳川慶勝墓、高須藩墓所)→正受院
荒木町14・19
ビルの前に史跡案内があります。
わたしが持っている古地図には松平範次郎邸と・・・![]()
この方、旗本らしいです。
藩邸の前は津の守坂。容保様&定敬くんが歩いた道。まっすぐいくと尾張藩邸
古地図でいうとここ
策(むち)の池
荒木町10
徳川家康が鷹狩の時、この近くにあった井戸で鞭を洗ったことで策の井戸と呼ばれ、その水がこの池に流れ込んでいたことから策の池と名前がついたそう。
明治18年頃の地図を見てみると、大きな池があるのがわかります。
この池は高須藩邸の一部です。奥に行くほど低くなってるんですよ。 よく分からないと思いますけど笑
この方は容保様と同母。 奥にある小さい方がそのお母様の古森千代子様のお墓
慶勝さんのお墓は昭和28年に愛知県に改葬さていていますが墓石が残っています。
墓碑は熾仁親王の書です。
今回は班の人数が多かったので墓地に人が溢れてます(;^ω^A
慶喜さんのお墓と同じ円形。神式です。
慶喜さんは神式と希望したそうですが、慶勝さんは明治政府の命令で神式にされたそうです。←明治政府ってそんなことまで命令したの![]()
旧尾張藩士が奉納した石灯篭の中に山岡鉄太郎(鉄舟)発見![]()
正受院
新宿2-15-20ここには容保様のお墓があったのですが、ご存じのとおり会津若松に移っています。
明治26年12月5日、小石川邸で亡くなりこちらに仮埋葬され、会津の歴代墓所への埋葬の許可がおりたのはそれから23年6か月後の大正6年6月9日でした。
今では何も残っていないのですが、俳優のFさんが購入した一画が会津藩士の家老、萱野様(ガイドさんは『戦後処理を引き受けて切腹した家老』と言っていたので萱野様のことかと思います)のお墓があった場所だといことが分かったそうです。
ツアーはこれで終わり。
自分では絶対行かないだろう場所に行けたし、ガイドさんの解説が詳しくてとっても勉強になりました。
博物館に戻って、ゆっくり展示を見てきました。
展示数は少ないのですが、よくまとまっていて分かりやすかったです。
もっちー公の肖像画(←立ち絵のほう)って写真しか残っていないそうなんですが、その写真を撮ったのが茂栄さん![]()
が、それ以上に驚いたのがその絵の顔を描いたのが茂栄さん
(身体は絵師さんが描いたそうです)さらに座った束帯姿のも描いたのもこの人
和宮様にダメだしされたとか。
茂栄さん、何者(((゜д゜;)))
容保様のパネルに『イケメン大名』って説明が笑
いや、イケメンだけどさ。こういうの初めて見たから笑っちゃった。
あからさまに『イケメン』なんて説明書き見たことないし。
容保様の書状は元治元年8月6日 池田屋事件について新選組が超頑張ったって内容。
書状と言えば、慶喜さん宛ての手紙が何通かあったんだけど、将軍時代は公方様ってなってて、大政奉還後は上様ってなってたの。
大名が手紙書くときって、そうやって使い分けるのが普通なんですか?
今まで気にしたことなかったので、今度からちゃんと見てみよう。
今回、書状を見てどうやって折ったのかを脳内で変換してました。 講座が役に立ちました( ´艸`)
すごろくを貰ったのですが、学芸員さんが作ったそうです。
明治時代に撮った四兄弟揃って撮った写真、写真代ワリカンだったんだって![]()
図録
高須家の家紋は葵にまわりが菊。


















