佐久間象山と横浜 | 今ここに生きる理由がきっとある

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佐久間象山が元治元年に京都で亡くなってから今年で150年


安政元年ペリーが横浜に来航した時、松代藩は警備を命じられます。

その時象山も『軍議役』として参加。

この時から横浜を開港地の候補と唱え、のちに横浜開港の恩人と称えられることになります。


横浜市歴史博物館で展示会が開かれているので行ってきましたビックリマーク


センター北駅なんて20年振りに降りたよwwww 昔は田んぼだったのにすっかり様変わりしてて驚いた。


どどーんと、象山さんが出迎えてくれます。

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佐久間象山といえば、勝海舟の妹さんが象山さんの奥様(順子さん)で、息子の恪二郎さんが新選組に入ってますよね。 (ちなみに恪二郎は順子さんの子ではなく、お妾の子です)


その資料が展示されているのです。 100%これ目当てで見に行った( ´艸`)


恪二郎さんからお母様(順子さん)への手紙

会津藩の山本覚馬さんの勧めで新選組に入って禁門の変に参加したこと。

隊では近藤さんと土方さんが親切にしてくれていること。

父を殺したのは長州藩士ではないかということ。

三浦敬之助と名前を変えたこと、など書かれています。


土方さんから勝海舟への手紙

敬之助が山本覚馬の紹介で新選組に入ったこと、敵討ちの為に文武に励んでいるとこなど書かれています。(この手紙は土方歳三、沖田総司全書簡集に載ってます)


この手紙で勝さんは恪二郎さんの行方を知ったようで、海舟日記に近藤さん、土方さん、覚馬さんに金子を送ったことを書いてます。


土方歳三資料館と佐藤彦五郎資料館からは近藤さんと土方さんの写真


小島資料館からは元治元年新選組の行軍録

近藤さんの右に周平くん、左に敬之助さんの名前があります。


霊山歴史館からは島田さんが書いた新選組英名録

三浦敬之助さんが載ってるページが開かれていて、周平くんの名前も見れました。


佐藤彦五郎資料館と小島資料館からもうひとつづつ。

佐久間象山の書

文久3年~元治元年に象山が新選組の屯所に来たときに土方さんに頼まれて書いたもので、印章がないのは急に頼まれたので印章を持ってなかったから。

土方さんが隊士募集で東下した際、おみやげとして両家に渡したそうです。


他には意外な人も。

明治10年~明治24年の間に作成されたと思われる名簿に何と!!


伊庭想太郎くんの署名が!!!!

イバハチの弟さんです。


この資料は象山さんの奥様の順子さんが持っていたものなので、象山さん関係の資料だということは間違いないそうなのですが、何の署名なのか分からないのだそうです。

有力なのが時期的に伊勢山への象山碑建設に関わるものではないかという事。

他の署名には陸奥宗光、犬養毅、田中正造、など。



図録のに載せるのが間に合わなかったので、図録に載っていない

安政6年4月25日付 松陰先生から象山さんへの手紙


野山獄から高杉さんに託した手紙です。この年の10月松陰先生は処刑されてしまいます。


高杉さんの事を学門、経歴は浅いが優れた人物なので私と思って教えて欲しい。

幕府と諸侯のどちらを頼みにすればいいのか。

日本の復興をどこから手を付ければいいのか。

自分の死に場所はどこがふさわしいのか。


などが書かれています。


高杉さんがこれを象山さんに渡すのは1年後の万延元年9月。高杉さんの日記『試撃行日譜』にあります。

21日、松代入り。(日記に宿屋よくないって書いてます)23日、象山さんに会い明け6つまでトーク。



図録がコレ
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象山さんって、こんな顔して奥様には結構かわいい手紙書いてて意外な一面もラブラブ


ぜひぜひ行ってみて下さい。 


ギャラリートークも開催されているので、よく分からない方は参加するといいですよ。わたしも参加しました。



おみやげは勝サブレ
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勝海舟が設計した神奈川台場の形をしています。