長州旅行☆俊輔の後をついていく☆十朋亭 | 今ここに生きる理由がきっとある

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マスジに挨拶したあとは山口市内へ


知らない人もいるかもしれないので、ここでちょっとおさらいの時間です。


文久3年4月 長州藩主毛利敬親公は萩では不便だし萩城にいては外国から砲撃を受ける恐れがあると判断し、政治の舞台を萩から山口に移します。


武家諸法度でお城のメンテナンスすることさえ幕府の許可が必要な江戸時代。


なので長州藩は、政治ができる政事堂を建設します。 政事堂といってもお堀もあるのでお城っぽい造りではあります。

もちろん幕府には城ではないと言い切ってます。←言い切ればOKなのか笑


というわけで、藩士たちはぞろぞろと山口市へお引越ししてきます。



そんな藩士たちのたまり場だったのが


十朋亭

こちらはお醤油業を営んでいた萬代家の離れ。


江戸時代、当時のまま残ってます。


こちらは炊事場&お風呂。今は資料館になってます。


こっちがたまり場。



ここを訪れた人は周布さん、桂さん、久坂くん、高杉さん、俊輔、聞多、ガタ。


特に俊輔はお気に入りだったよう。


こちらの見学は無料ビックリマーク 鍵がかかってるので、十朋亭の前にある大路ロビーさんに声をかけると、案内してくれます。



人が住んでいて見学NGなのですが、十朋亭の裏のこの建物。

松陰先生のお兄さんの民治さんがここで塾を開いていたんだそうです。