ずーっと行きたいと思ってた韮山反射炉&江川さん宅。やっと行ってきました。
幕末に活躍した江川太郎左衛門英龍さん。パンを初めて作った人でもあります。
反射炉とは銑鉄を溶かして不純物を取り除いた鉄を生産するためのものです。
溶かした鉄は型に流し込んで大砲を作ります。
韮山代官だった江川さんは幕府の許可をもらい、安政元年ここに反射炉を造りました。ここで作った砲台が江戸湾の台場に設置されたんです。
ちなみに、英龍さんは安政2年に亡くなり反射炉の完成を見ることなく亡くなり、跡をついだ息子の英敏さんは佐賀藩から技術師の派遣してもらい無事に反射炉を完成させたそうです。
日本近代化産業遺産群・九州・山口及びその関連区域という括りで、世界遺産登録目指してます。
反射炉は萩にも残っているのですが、韮山のほうは完全な形で保存されてます。
想像してたより小さかった![]()
反射炉の受付のとこに貼ってあったこの解説のポスター
平助・・・![]()
平助が西洋砲術とか初耳なんだけど![]()
江川邸。篤姫の撮影でも使われてたんですねー。ロケ風景の写真が貼ってありました。
土間
パン釜もありましたよー。写真撮ってないけど。
当時のパンは兵糧用として作られたものなので、ものすごい固いです。反射炉のお土産物屋さんに売ってます。
庭にパン祖の碑っていうのがあったんだけど、碑文が今大河に出てる、八重ちゃんを『鵺』呼ばわりしてる徳富蘇峰さんでした
探せば探すほどいろんな人が出てきますw
杉孫七郎、井上聞多(志道姓で載ってます。名前も聞多になる前)など。
ちなみに藩ごとの名簿は英龍さん没後のもの。
英龍さんは安政2年に江戸の自宅で亡くなったあと、英龍さんの遺志を継続させるため幕府から広い邸宅をいただいた息子の英敏さん。跡を継ぐといってもまだ13歳なので、英龍さんの弟子たちがこの邸宅で塾を開くことになります。 (大鳥圭介伝より)
ちなみに大鳥ちゃんは安政4年から教師をしています。
2人が見てる景色
今では平地になってますが、頼朝さんがいた頃は狩野川が流れていて、蛭ヶ小島というのは狩野川の中州の事だそうです。
政子ちゃんの産湯の井戸の跡の碑
近くに北条氏邸跡の遺跡があるんですけど、もったいないことに草むらになってます。
どうせなら、函館にある松前藩の陣屋みたいに、公園整備したらいいのに・・・
願成就院
頼朝さんが奥州攻めの成功祈願の為に北条時政さんが建てたお寺で、時政さんのお墓もあります。
ここには運慶作の阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天があります。すべて国宝。
資料室には像の中に入っていた木札も見ることが出来て、施主が北条時政、製作が運慶だという事がわかります。
韮山、意外と見るところが多くて面白かったです








