箱館旅行☆3日目② | 今ここに生きる理由がきっとある

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さぁ、これで最後になります箱館旅行記。 


次に向かったのは亀田八幡宮


現在はお神輿が収納されていて、社殿としては使われていません。

明治2年5月18日、旧幕府軍が新政府軍に降伏しました。


その前日、亀田村三軒屋で黒田了介、釜ちゃん、大鳥ちゃんらの会談が行われ(飲み会ともいう)、ここ亀田八幡宮社殿に参詣して降伏を誓願しました。


大鳥圭介伝によると


17日、総裁榎本釡次郎、副総裁松平太郎がまず、亀田村の三軒家の軍門へ向かった。


この時、従った面々は陸軍奉行添役安富才助、同じく大島寅雄(2人とも土方さんの側近ですね)、彰義隊改役大塚雀之丞、同じく丸毛牛之助。


榎本、松平、大塚の3人は騎馬で他の3人は徒歩だった。


官軍は相当の礼をもって出迎え、軍監の玉置、中山が冷酒とスルメを持ってきて、もてなした。

しばらくして、官軍の参謀が大鳥、荒井の2人にも会いたいと言うので、松平太郎と丸毛牛之助が馬を飛ばして五稜郭へ2人を迎えに行った。(←なぜ丸毛さん??行くとき馬乗ってたの大塚さんじゃん)


戻ってきたところで、官軍参謀黒田了介、増田虎之助がやって来て、降伏条件等を議論し明日18日、降伏するとこととした。



建物の裏に行くと箱館戦争時の銃弾の跡が残っています。


箱館戦争降伏式の地の文字は釜ちゃんの曾孫さんの書です。

去年の11月に建てられた碑なので、見た人は少ないかも。


亀田八幡宮の前の道は、旧幕府軍が松前城攻撃の時に通った道だそうです。

【参考図書:函館まちあるきマップ16・箱館戦争写真集】


次は四稜郭


旧幕府軍は新政府軍の攻撃に備え、五稜郭の背後の守備を固めるために造られました。


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旧幕府軍兵200名と付近の村民1,000名を動員。数日で完成させたそうです。
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ここはとっても寂しいところでしたあせる

きちんと整備されていて、保存状態は良いです。ただ、面白くないww



最後の目的地は市内から飛び出し車 

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松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡

安政2年に幕府に命じられ松前藩が築いた陣屋で、構造は四稜郭です。


桜の名所のようで、観光バスで来ていたグループがいました。可愛そうに・・・汗

立派な門が復元されています。

今ここに生きる理由がきっとある

全体はこんな感じです。 
今ここに生きる理由がきっとある

ここには17棟の建物があり、約120人が守備していました。

明治元年、箱館戦争時、旧幕府軍に陣屋を使われないように焼き払っています。


建物ごとに詳しい説明書板が立っているので、妄想しやすく(笑)分かりやすいです。
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堀も見事に残ってます。 
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全部見て回ると結構時間がかかりますが、とにかく保存状態がいいので、行ってみる価値はあります。


四稜郭より、こっちの方が面白かったw



函館に戻ってきて空港へ向かう途中、土方・啄木浪漫館なるものを発見したので、入ってみた。
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赤い車は今回のお供の『鉄之助号』 3日間、多くの峠越え、泥だらけになりながら未舗装の道を頑張って走ってくれました。

さすが、土方さんのお小姓です。


で、この施設ですが・・・ふぅ~んって感じ。刀は、よく集めたなーって思いました。

入館料が高杉だ (←汗)




これで、3日間の箱館旅行記はおしまいです。


ここまで読んで下さった物好きな方、ありがとうございます。


次はお土産編で~すチョキ