イバハチと勝っちゃんの足跡を少しだけ辿ってみると、そこは地元だったんだぜ。 | 今ここに生きる理由がきっとある

今ここに生きる理由がきっとある

ブログの説明を入力します。

先日の結婚記念日クラッカーのブログにて、たくさんのお祝いコメントありがとうございました合格


きっと相方も南国で喜んでいることでしょう。←今はマレーシアにいる。


これからも夫婦仲良く、幕末ネタで盛り上がりたいと思います。



さて、先週末。


遊撃隊ツートップ、イバハチと人見ちゃんの足跡を辿りに小田原と箱根へ行ってきました。


小田原城下の学校に通ってたので、この辺は地元ww



遊撃隊とは、もともとは講武所(江戸時代の旗本・御家人たちのお勉強の場)の剣・槍術の達人たちで構成された奥詰(将軍の親衛隊)が始まりで、長州征伐後に軍制の改革によって誕生します。


鳥羽伏見の戦い後、慶喜公の護衛をしていましたが、江戸城無血開城後分裂。


人見勝太郎くん(26歳)と、イバハチ(伊庭八郎・25歳)は徹底抗戦を決意し、榎本武揚と同盟を結んだり、勝海舟に怒られたりしながら、請西藩主・林忠崇(21歳)と共に新政府軍と戦うことになります。


遊撃隊が小田原藩を相手に戦った場所が箱根です。(箱根戦争) 



いっしー隊はおなかが減ってると歩けないので、まず腹ごしらえ。


魚河岸でん にて
今ここに生きる理由がきっとある
小田原の漁港で獲れた地魚の海鮮丼!!


美味しかったです。あら汁がサービスで付いたんだけど、それも食べ応え十分なあら汁で、久しぶりに美味しい海鮮を頂きましたラブラブ


おなかもいっぱいになったので、小田原城へ


久々に行った小田原城。 ただし、時間がなかったので外観のみ見学。見聞館行きたかった・・・

今ここに生きる理由がきっとある

実はこのお城、あのビックリマーク春日局の息子、稲葉正勝さまが城主だったことがあるんですよ!!

・・・そんなの知ってましたか。すみません。


このお城は江戸時代のものを復元してるので、イバハチも人見ちゃんも見た(と思う)お城です。


2人は入城してるのかな。勉強不足で分からないんですが・・・あせる


小説だと、控えの間でずーっと待たされて、『このまま待ち続けて、疲れたところで斬られるのではないか』って2人で不安になってたけど。


銅門。 二の丸の表門になります。
今ここに生きる理由がきっとある

ここを通って、本丸や天守閣へ向かいます。


薄桜鬼のコスプレしてる人が、うじゃうじゃおります。


どこから写真を撮ろうとしても必ず写りこみます。それくらいいます。


あまりの寒さに、お猿さんが団子状態になってて可愛かった音譜
今ここに生きる理由がきっとある



足早に小田原城を去り・・・


イバハチが小田原藩士との戦いで腕を斬られた三枚橋
今ここに生きる理由がきっとある

今ここに生きる理由がきっとある
この辺にある洋食屋さんが美味しいのだ。


石垣山城(一夜城)も石橋山古戦場もスルーして・・・


今回、一番の目的地パー


早雲寺
今ここに生きる理由がきっとある

ここは秀吉が小田原攻めの時の本陣であり、北条五代のお墓があります・・・


が、それよりも大切なものが!!


人見勝太郎(人見寧)くんが建てた箱根戦争で亡くなった遊撃隊士達のお墓があるんです。
今ここに生きる理由がきっとある

今ここに生きる理由がきっとある

明治十三年に建てられたこの碑。石に刻まれている文字は読みにくくなってます。


こういうのを目の当たりにすると、ホントに実在したんだなぁ。なんて思ってしまいます。


人見ちゃんは榎本武揚と共に蝦夷へ。イバハチは少し遅れて、腕の傷が癒えた後、蝦夷へ。


蝦夷島平定後、選挙で総裁、副総裁、その他が選ばれていますが、箱館奉行・永井尚志は選挙前にすでに外国人に箱館奉行を名乗っていたようです。


人見ちゃんは、松前奉行に選ばれていますが、遊撃隊は松前に布陣してたので、そりゃそうだろって結果ですね。 イバハチは出遅れちゃったので、遊撃隊隊長で終わっちゃたのが残念汗


その後の2人は・・・


イバハチは木古内の戦いで重症。明治2年5月17日、榎本武揚に渡されたモルヒネを飲み自害。(諸説あり)


人見ちゃんは生き延びて明治3年3月、赦免。静岡に英学校を創ったり、お茶作ったり、茨城県令(今でいう県知事)になったり、ビール会社創ったり、恵まれた人生を送りました。


新選組の相馬君もこのくらいの勢いで、生きて欲しかったな・・・


帰りにかまぼこ屋のカフェでケーキ食べてきた。
今ここに生きる理由がきっとある


おみやげは、小田原といったらういろう。 レトロなパッケージに惹かれて買った、みかんサイダー
今ここに生きる理由がきっとある
実は、小田原のういろうを食べたのは初めてで、名古屋のういろうよりモチモチしてましたグッド!


歌舞伎十八番のういらうは薬のういらうの狂言で、足利時代より秘薬としてされていたものが、江戸時代になり、二代目市川團十郎丈がこの薬のおかげで助かったのを感謝して演じたものです。