聖地巡礼☆会津☆④ | 今ここに生きる理由がきっとある

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3日目のスケジュールはこちらサゲサゲ↓


長岡藩士殉節の碑
会津藩主松平家廟所

会津武家屋敷


長岡藩士殉節の碑は本光寺の墓地にあったのですが、肝心の本光寺がナビに出てこなかった・・・汗


今ここに生きる理由がきっとある
なんとか近くまで行くと案内の石碑が建ってました。



今ここに生きる理由がきっとある


慶応4年(明治元年)9月8日 家老山本帯刀くん他長岡藩士が、西軍に処刑されました。


山本帯刀くんは24歳の若さで、河井継之助さんに長岡軍の隊長に抜擢され、前線で戦っていました。


河井さんが負傷し、会津へ退却する時はしんがりを務め、無事に会津入りに成功。


会津藩士と連合し、飯寺で西軍を攻撃しますが濃霧のため敵軍の中に孤立してしまい、帯刀くん他長岡藩士数十名は生け捕りにされてしまいます。


西軍は帯刀くんの人望を惜しみ『降伏の意を示せば助ける』と言いますが、帯刀くんは『降伏を命じられていない』と拒否し、全員が斬首されてしまいます。


このため、山本家は断絶。明治16年まで再興は許されませんでした。


再興すると、元長岡藩士 高野貞吉の息子、高野五十六が山本家へ養子に入ります。


その方がのちの大日本帝国海軍軍人 山本五十六です。


河井継之助記念館行きたかったよー怖い 継サのお墓参りもしたかったな・・・


周りはこんな長閑な場所です。 
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続いて、会津藩主松平家廟所へ

今ここに生きる理由がきっとある
結構な山道でした。 山だけど、ちっとも涼しくないんだなー


歴代の藩主さまの碑が立ち並んでおります。
今ここに生きる理由がきっとある



こちらが第9代藩主容保さまの碑です。そばにお墓もあります。

今ここに生きる理由がきっとある
(亀相の悪い)亀の上に碑が建ってるんですけど、生い立ちから没するまでの事が書いてあります。

鳥羽伏見の戦いで慶喜脱出とか書いてあったんで、相方と『脱走だろうがビックリマーク』とツッコんでみました。


あちこちに展示してあった絵巻でも慶喜脱出ってタイトルだったのが気にいらねぇっっパンチ!


勝手に釜次郎さんの船乗っていきやがってパンチ! 


いろいろ思い出して腹立ってきたパンチ!


・・・アンチけーきなんで、ごめんなさい汗


時間がなかったので、容保様のお墓しか行けなかったんですけど、全部回ったらそうとう時間かかる感じですね。案内には15分くらいって書いてあったけど、15分じゃ絶対無理。



会津の旅、最後に向かったのは会津武家屋敷


西郷頼母宅です。 
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白河城?から移築した精米所
今ここに生きる理由がきっとある
これ見て、『ここ、前に来たことある』と気づきました笑

鶴ヶ城は行ったの覚えてたんだけどにゃ


前回来たとき、全く気付かなかったんですけど、ここに見廻組隊士 佐々木只三郎さんのお墓があったんです!!


・・・会津藩出身だったんだ、あの兄ちゃん。(どの兄ちゃんだよ)


講武所つながりで面白い人脈持ってんだろうなぁ。調べてみたい。


つづく・・・