日立市の人口減少加速 | ゴルフ迷走記

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平成の大合併で20万都市になった後、現時点では16万人となってしまっている。
いろいろな要因はあるでしょうがやはり日立製作所の及びそのグループ会社で成り立っていたことが大きな要因の一つでしょうね。

日立市は太平洋に面しており、そこから1kmもすると標高200mの山々が連なっています。
実はこの山々が温暖な気候を作っているのです。
阿武隈山脈からの風をこの山々で受け止めているため市内にはその風が来ない、従って冬は暖かい、また夏は海風で涼しい、
日立市の南端にある「石名坂」(常磐道 日立南太田IC付近)でその山々が途切れるためここでは日立の街より3~5℃気温が下がる。

さて、前述したように日立市は平野が少なかった、また高度成長期には日立製作所、関連グループの社員が3万人以上、家族を入れると10万人、
その昔は独身者の寮、社宅が工場を取り巻きたくさん存在していました。
おいらが入社した当初は在籍していた「多賀工場」は社員が6,000人、独身寮は10カ所、社宅も数えきれないほどありました。
本家の「日立工場」には10,000人の社員がいた。


昭和40年代から山々を切り崩して沢山の団地が出来ました。
平地は地元の地主さんが持っていて手放さない、(土地神話みたいなのも相まってね、)従って山を切り崩さないと住宅はできなかったのです。

その最古に近い「平和台団地」、狭いところに無理やり作ったのでしょう、坂の勾配が極端にある、雪が降ったら絶対に車では登れないでしょう。
更にこの上には「小咲台団地」というのが1980年代に作られた。
確か、当初は4000万円台で売り出されたが、バブルがはじけて入居者もなく値崩れしたと記憶しています。

2000年代に入って、銀行破綻に端を発した不況で土地神話が崩壊、
日立製作所は寮、社宅、更には福利厚生施設を売却したので平野部の土地が売りに出された、当然、地主さんたちが持っている土地も価格が下がる、更には先代から相続したが、相続税が払えない、土地を売却と最近まで続いていた。
もう、平たん地に土地もあまり残っていないかもしれません、いやいや、ウォーキングをしているとまだまだ沢山平地の空き地はあります。

もう一つ、街中にマンションが沢山立ち始めました、
団塊世代は山の団地を購入したが、当初はスーパーや商店などもあったがそれらがなくなり、かなり不便な生活環境になり、自宅を売却して街中のマンションに移り住む人が多く出てきた。

こんな状況ですから息子が自宅を継いで住むはずもない、

おいらも数年前に自宅を売却したが、その動機は前述もあるが、息子のKenny君の一言が大きかった。
『おいらが死んだ時はこの家を二束三文で処分するよう友人の不動産屋に話てあるからそのお金を妹のサリーちゃんと分けなさい』
と言った時の返事が
『貰ってもしょうがない、またここに住むこともないし、サリーちゃんもお金いらないというのでは?、親父の人生だから好きに生きて、死んだときには何も残さないようして、』

こんな会話だったかな?


さてさて、先週の土曜日はいつもの山側バイパスでウォーキング、日曜日は気分転換と少しだけの買い出しがあったのでいつも行くスーパーへウォーキング方々歩いて行こうとルートを変更、スーパーを通り過ぎ、我が家の墓地がある平和台霊園手前まで行って帰りにスーパーへ、
ところが、「平和台団地」の坂は半端ない勾配だった。
やはり古い団地なのでいろいろと学習する前、こんな急こう配では今は作らないだろう。

↓団地の入口で撮った太平洋の眺め、ここから霊園に行くには更に傾斜がある。


そうそう、若いカップルなら、車で移動も容易だと思いますし、気候はとても温暖、団地ではその昔、夏は窓を開けていると寒くて目が覚めるとまで言われたようにとても気候的にはいいところです、
中古住宅はとても安価で手に入る、ちょっとリノベーションすれば20~30年は住める、
在宅勤務など働き方も多様化していて、一部には若い人が団地に入ってきているとも聞きます。

都内まで130km、JRの特急で1時間30分、
さほど不便ではないと思います。
その昔、おいらは毎週のように都内に出張していましたから、都内で8時まで飲んで特急に乗るパターンだったね。

是非、日立市に住む若い方を望んでいます。
確か、補助金もあると思いましたので「日立市役所のHP」で調べてみてください。

「日立市役所のHP」

こちらに住みたいと思われる方、相談に乗りますよ、勿論NO PAYで。

おまけ、車で30分以内にゴルフ場は10カ所くらいあると思います。
1時間以内なら無数?