曖昧のかたまり

曖昧のかたまり

日々おこることは運命ということにしておこう

この本を読了した記録を残したいけれど、うまく言語化できない気がする。
こんなにも長く余韻が残ることは珍しいように思う。

生まれた環境で人によっては、さまざまな困難があるのは理解しているつもりだった。両親の思想により、学校や病院には行かずに育った家庭環境から大学に進学したあとが記録されたエッセイ。

それを読み、こんなにも衝撃を何度も受けたというのは、本を読むようになってから初めてに近い感覚であり、深く考えさせられた。

家庭内では常に陰謀論が飛び交い、安全配慮に欠けた自営の手伝い、兄からの虐待、様々な事故やケガからの復活、そして大学での苦悩。どの場面も読んでいて苦しかった。

よく普通だとか普通じゃないとか計ることがあるけど、そもそものベースがない、比べられる対象も疑問を持つ材料もないので、自分の生き方,家族のあり方を判断することができなかったり、教科書を読むということが(見る)ではなく(理解する)ということさえ知らなかった。

何度も家族は事故に遭うのだが、瀕死の状態でも病院には行かず、基本的に母親が作ったオイルやハーブなどで治療する、それが大怪我、大火傷であっても。でも、みんな死なないし、復活する。

『さすがに病院行けよ!』何度思ったことか。

著者が痛みを我慢する場面も何度かあったが、
ひたすら我慢。我慢できない痛みも我慢。そのうち痛みを判定する脳みそが負ける。
どういう世界観なんだ。

最初から最後まで読んでいるとめまぐるしく、そして苦しい。そんな環境では、高い自己肯定感がないと生きていけない、本能からそのように刷り込まれたのだろう。
自分が当たり前だと思っていることも、実は育った環境によって見える世界が全然違ってくる、そんなことを考えていると、やはり世界は複雑で曖昧なものであると感じるのである。