吹奏楽コンクール | さたらのブログ

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この間、子供に

「どたん場に立たされた事がある?」

と聞かれて

「あるよ。今まで何度も」

と答えて、ふと中学生の頃を思い出しました。

それは、自分でもすっかり忘れていた事でした。



私は、中学校に入学して吹奏楽部に入りました。

それまでマーチングをしていましたので
ただ何となくです。

1年生は、吹奏楽コンクールに出場できない決まりになっていました。

顧問で指揮者の先生は、音楽の先生で
他にもバイオリンを教えておられ
3年生を中心に練習していました。

コンクールは毎年金賞で、県代表にはなりませんでしたが、そんなことは関係なく
演奏は音楽的で、何かよいものを感じさせました。

2年生になり、新しいA先生が転入されました。
30代で、コンクールに強いと噂されていましたが、A先生も県代表は未経験でした。

県代表2校のうち、1校は不動で、もう1校もほぼ決まっていました。

吹奏楽部は文化部といえど、運動部と変わりません。
先生の指導は、納得できるものと
よく見せるために感じるものと両方でした。
なので、2年生からの練習は、あまり楽しく感じませんでした。

皆が
「しんど」
と口ぐせのように言うようになり

先生が
「しんどいと言うな!」
と言っていました。

私はなぜかそうも思わず、一度も口に出ませんでした。

吹奏楽コンクールになり
自分達の出番になりました。

私は打楽器で、あらかじめ決められていた小物楽器を持ってステージに立ちました。

課題曲の演奏が始まり、ふと見ると
H先輩が持って出るはずの
コンサート用カスタネットがありません

H先輩は、小学校のマーチングでひとつ上の先輩でした。

やや頼りなく、5年生から私がパートリーダーをする事になったのでした。


カスタネットがない

どうすれば


私は演奏しながら、ステージ下手の
ティンパニをチューニングしている大学生に
必死に身振りで伝えました。

規定の演奏をしなければ失格になってしまうのですが

そんな事はひとつも頭をよぎらず

振り向きながら伝え続けました

大学生は、私の伝えたい事がようやくわかり
ステージの入り口に素早く、そっと置いてくれました。
私は感謝を目で伝えました。


課題曲に何とか間に合い、後はよく覚えていません。
演奏が終わり、客席の1年生や保護者がどっとやってきました。


とりあえず演奏できて良かった

と思いました。



結果発表

私達は金賞でした。


県代表の発表になり

常連校と

そして私達の中学校が選ばれたのです。

皆、信じられない気持ちでした。

自分にとっての初出場

そして初代表


代表と思われていたナンバー2の中学はいい演奏でした。

後で、顧問の先生が

「何であの演奏で代表に選ばれたのかわからない。曲も無難なものを選んだのに」

と本音を何度もこぼしていました。


それからは、全国大会出場に向け、地区大会への練習が始まるわけですが

3年生女子の、2年生女子へのいじめが始まりました。

2年生女子をひとりずつ呼んでは
3年生のタクワ先輩と
タクワ先輩の両脇の、私が仲良しの2人の先輩は
申し訳なさそうに座っていました。

「生意気だ」
「いい気になるな」

など、タクワ先輩は繰り返し言いました。

私達は全然いい気になどなっていません

と言い返すと、タクワ先輩は怒りまくっていました。

そんな事より、今は少しでも練習するべきなのです。


そして地区大会

結果は金賞

全国大会は行けませんでした。


帰りのバスは、先輩達みな泣いていましたが

私は涙が出ず

赤い夕陽が、いつまでもバスを照らし続けたのが記憶に残っています。



今ならわかるのです


私の演奏中のハプニングに
審査員が同情票を入れたのかも知れません

そしてタクワ先輩のいじめ


その時は何もわかりませんでした


そして

初の吹奏楽コンクールの写真には

ひとりだけブレた私が写っています。