二人で吊り橋を渡っている。
或いは崖を歩いている。
──なぁ、愛してる?
時々そうやって、彼はわたしを罠にかける。
途端に足場が崩れ落ち、
そうしてわたしは罠に嵌まる……。

 

 

 

 

One day──

 

10歳になったばかりの夏の終わり。
搾りたてのオレンジジュースを飲んでいるあの子から、甘い桃の匂いがしてくる。
僕は辺りを見回すけれど、庭の樹にもテーブルにも、桃なんて何処にもない。
きっかけは何だったか……、そう、不意に顔が近寄ってきたんだ。
「ぽけっとするな、アンドレ」
その時、あの子の匂いに気づいてしまった。
「ねえっ、サッカーしよう」
「あ、……うん」

 

また──桃の匂い。
僕の手を引っ張る指先から。
風に揺れる金の髪から。
女の子の匂いが果物だなんて、母さんは教えてくれなかった。
何故か本人には言えなくて(絶対めちゃくちゃ叩かれる)、代わりにおばあちゃんに尋ねたら、

「ねえ、おばあちゃん、オスカルから桃の匂いがするのはなんで?」

鬼の形相で怒られた(孫って可愛いもんじゃないのか、普通)。

 

 

Another day──

 

14歳最後のle réveillon de Noëlクリスマス・イヴ
二人で出掛ける約束をして、
「寝坊したから朝ごはん食べてない」
と(まるで寝坊したのが俺のせいみたいに)ぶうぶうと文句を言われた。
理不尽だ。
だけど逆らえるわけもなく。仕方なく近くのカフェに入った。
ところが、天衣無縫てんいむほうな幼馴染みは、
「眠い」
と言って、コーヒーばかり飲んでいる。

 

コーヒーばかり飲んでいる彼女から、芳純な薔薇の香りが漂ってきて、俺は訳もなく狼狽うろたえる。首を揺すっても立ち上がっても、しつこく纏わりついてくる。
昼間から、「シャンプー変えた?」なんて訊けないし、夜になったらもっと訊けない。
なんだか、だんだん近寄りがたくなっていく。
──なのにお前は、無防備に俺の領域に踏み込んで、無邪気に躰を寄せてくる。
毎日毎日、溜息ばかりが増えていく。

 

こんな想いは──誰にも言えない。
お前にもまだ……告白できない。

 

 

Someday──

 

夏でも冬でもない──蒼みを帯びた黄昏に。
とっておきの葡萄酒ワインをちびちび舐める唇から、危険な蜜酒の香りがしてくる。
「なあ、今日は演奏会の練習をするって約束しただろ」
「煩いっ! そんな気分じゃない」
何の前触れもなく勝手に不機嫌になっている。理由さえ教えてくれない。
恋人になっても──理不尽だ。
それなのに、
まだおさない不愛想な横顔に、つんと尖った唇に、乾いた欲情が膨れあがる。唾と息を同時に呑み込む。
恋人を──勝ち得たというのに。

 

窓を開けているが風はない。何時いつになっても入れ替わらない。
蜜酒のおりは知らず知らず、脳髄の皺襞ひだまで侵していく。
喉は慢性的に渇いている。
操縦コントロールが効かなくなる。
喉を掻き毟るうちに、その澱を吐き出しはしないかと恐れている。


──オスカル……、抱きたい……。
「お前も飲め、アンドレ」
「ジョーダンじゃないっ!」

 

 

 

 

「雪のなかで、お前を抱いている夢を見た」

 

蒼みを沈ませた白い裸身が雪原に横たわる──。
月明かりであらわにされたその肌は、艶かしいのに神々しくて、凍えるような空気の下でしっとりと熱をもち、燃えるような吐息でお前は俺を何度も求め、恍惚とした眩暈にふるえながら互いをむさぼるように愛し合い……、

 

最後まで言い終わらないうちに、
「ば、馬鹿っ! ヘンタイ! ケダモノッ! 露出魔っっ!!」
という罵詈雑言とともに引っ叩かれた(相変わらず口は悪いし手も早いし理不尽だ)。

 

挙句の果てには、
「わたしを凍死させる気か!」
ときた。
「酷いなぁ、夢なのに」
仕返しに強引に抱き竦める。
あ、しまった。(弾みで)耳に舌入れちゃった。
彼女はシーツに撓垂しなだれ落ちた。

 

「わ、わざとだな……、わたしが、ここが……弱いと……」
「もちろん知ってるよ。当たり前だろ?」
何年、お前の甘い声を聴いていると思っているんだ?
その魅惑的な掠れ声で、その潤んだ瞳で、何度も俺をイかせるくせに……。
首筋にキスの雨。波立つはだが優美な曲線を描き始める。
今日は、お前の誕生日──
何回目かは言わないでおくよ。

 

「おめでとう。愛してる」
「……ついでのように言ったな」
「幾つになっても捻くれてるなぁ、俺の恋人は」
「うるさ……っ」
もう一度、急所を突いた。
「…ふ…っ……んん……」
「オスカル、俺のことは? 愛してる?」

……ソレドコロデハナイ。らしい。
淡く火照る頬と耳朶。さざなみのように震える唇。
まだ恥じらいを含んだ喘ぎ。耳朶じだを愛撫するような熱い息。頬を擽る金の髪。
弾力に充ちた脚が吸いついてくる、生々しい吐息が洩れる、しなやかな腕が巻きついてくる。

 

「……誘ってるの?」
「だ、誰が……っ」
脆弱な蒼い光が睨めつける。薄く開いた唇に舌を忍ばせ、強く舐った。
「っん……、……は…ぁっ。や…め……」
「……やめろ?」
本当に素直じゃない。だから少しだけ意地悪をしてしまう。
あの頃とは違うんだ、二人とももう無邪気な子供ではないんだと、
いつまでも従順な幼馴染みではいられないんだ──と。
俺は、細い躰を抱き締める。
「悪いけど、それは無理」

 

彼女が甘美な降服をするのは──果たしていつのことだろう。
永劫の甘い降服を差し出してくれるのは……。
桃の匂いと薔薇の馨り。
あの頃よりも強くて甘い。
懐かしくて、愛しくて、
切なくて、……堪らなくて……、

 

灯りを消した──。

 

 

 

 

 

おまけ/5歳に(に成りたて)と6歳の頃

 

 

大きな銀杏イチョウの樹の下で~♬ あなた(おまえ)とわたし(ぼく)~♪
仲良く~……♬

 

「アンドレっ、今日は何の日か知ってる?」
「知ってるよぉ。あったりまえじゃん」
「なに? なに?(期待に満ちた瞳)」
「クリスマスっ!!(大きな声できっぱりと。)」

─ばすんっっ(パンチ)

 

仲よ~く……♪

「アンドレのぶぁあかぁっっ!!!」
─ばたんっっ!!!(ジャルジェ家のドアの閉まる音)
やってしまったなり。

 

な…か……、よ、よ……、♭♩


その後おばあちゃんに、「まったくお前はどうしてこう肝心要のところがいつも抜けてるんだろうねえ。ええ?」としこたま怒られ(だから孫って可愛いもんじゃ……)、サブレを山盛り抱えて(おばあちゃんに持たされた)、ジャルジェ家へ向かうアンドレ。
─ピンポーン。
と呼び鈴を鳴らすと、
今日でパリが海底深く沈没してしまうのでは? と戦慄するほどの不機嫌極まりない顔(でも可愛い)がドアから覗いた。

 

「ごめんね、オスカル」
まず、深々と頭を下げる(おばあちゃん指示)。
「お誕生日おめでとうっ☆☆☆」
そして直ちに、サブレ(真っ赤なおリボン付き)を手渡す。
(山盛り)サブレに目が釘付けになったオスカルは、
「ふん。しょうがない、今回だけは許してやるよ」
と言った後、
「いいか? 来年はないからな。憶えておけよ、アンドレ」
と五寸釘を刺しておく(《あの一族》なら瞬時に消滅しているだろう)。


♫な~か~よぉ~く~遊びましょう~

大きな銀杏イチョウの樹の下で♩

 

 

 

 

 

 

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