タイトル/(pixivで)シリーズ101話目が結婚式と重なったという奇跡のタイミングにのっからせて頂きましたピンク薔薇

 

 

 

 

クローバー

 

 

挨拶は無事に済んだし、ピアノ演奏はイザークも承諾してくれたし、結婚式までにすることは、後は何と何だっけ……?
そんなことを考えながら、昨晩は、彼の腕のなかで眠りについた。
……なかなか寝かせてくれなかったけれど。
鈴が転がるような鳥の囀り。
瞼の裏に忍び込む柔らかな陽光。
無意識に、片腕が彼を探す。左側は空っぽだった。
──先に起きたのかなぁ……。
仕方なく右を向くと、
ソファに凭れている広い背中が寝ぼけ眼にぼんやり映る。
同様に、サイドテーブルにのっている小さな箱が寝ぼけ眼にぼんやり映る。
綺麗なブルー。白いリボンが掛かっていた。

 

「クラウス、おはよう」
「あぁ、おはよう」
彼は背中を向けたままだ。
「これ、なあに?」
「……プレゼント」
彼は振り向きもせず答える。
「開けても良い?」
「……お前のだからな」
こんな時期に何だろう? クリスマスには早いし、誕生日はとっくに過ぎた。
──変なの。
起き上がって、小箱を手に取る。軽い。
四方からじっと眺める(後からリーナに言われたのは、「そこで気がつかないなんて鈍感にも程があるわ」だった。うん……自分でもそう思う)。

 

リボンをほどいて、箱を開けた。
「あ………」
声も躰も固まる。
まるで魔法をかけられたみたいに。
空気も揺らがない数秒間。
ゆっくりと彼が振り向いた。
ボクは、どんな顔をしていただろう……。
それを見つめているボクの表情かおは。
「これ……、クラウスが買ったの?」
「俺以外は無理だろう。こればっかりはさ」
「そっか……、そうだよね」
落とさないように指で摘まんで、朝の光に翳してみる。

 

綺羅綺羅きらきら……、
綺羅綺羅きらきら……。
無限の透明体プリズムが瞳のなかで明滅していた。

 

「綺麗……」
「悪かったな、遅くなって」
「ううん。……嬉しい。ありがとう、クラウス」
照れ臭そうな顔が近づいて、ボクの手からそれを取って、ボクの指に通してくれた。
ボクは、思い切り抱きついた。
「うわっ!!」
勢い余って、彼をベッドに押し倒す。ううん違う、
確信犯だ。
唇を奪った。
一言たりとも漏らさない。

 

両手で頭を摑み、
指を髪に絡げ、
お互いに荒い息を弾ませて。
「お前……、朝っぱらから……」
呆気にとられた顔が、なんだか可笑しかった。
「それくらい……嬉しかったの」
「じゃあ、お返しを貰おうか」
「え? あっ! だ、駄目っ」
あっさりと、二人の躰が反転する。
「もう遅い。治まらねぇ」
「そんな、朝から……」
「朝からあおる……お前が悪い」
「───っ」
息つく間もなく荒ぶる舌が絡みつき。
……熱い。
躰中が優しく愛しく、充たされていく。
……嬉しい。

指輪をしたまま──彼に抱かれた。

 

 

 

 

 

クローバークローバー

 

 

「いらっしゃいませぇ」
硝子ケースの向こうで、ジュエリーショップの店員の満面の笑顔が出迎える。よく見ると、なんと懐かしい学生時代の友人だった。
「え? アニ……カ?」
ユリウスは目を丸くする。
「お久しぶり、ユリウス」
友人はにっこり微笑むと、次に顧客へ目を向けた。
「ゾンマーシュミット様、先日は、お買い上げ誠にありがとうございました」
超一流の営業スマイルである。
向けられた当の本人は、思い切りそっぽを向いていた。

 

「アニカ、ここで働いているの?」
「そうよぉ。見て、この煌びやかな世界。私の天職。現在、売り上げナンバーワン更新中なのよ」
アニカはユリウスの耳もとで囁いた。
「貴女の彼のお陰」
「知っていたの? クラウス」
ユリウスがクラウスの顔を見る。
「知ってたら入るわけないだろうが」
無表情で答えるクラウス。
「可笑しかったわよぉ。店の前を通り過ぎたと思ったら、また戻ってきて。それを延々。いったい何回繰り返したか、数えておけば良かったわぁ」
けらけらとアニカが笑った。

 

「漸く決心してドアを開けたら、真っ先にこいつと目が合ってさ」
クラウスは鬱々たる表情で、溜息を洩らす。
「俺は、蛇に魅入られたカエルみたいに……」
アニカは細い眉を吊り上げる。
「まっ、失礼ね。でもまあ当たらずとも遠からずね。逃がすわけないでしょう? 私の営業成績を左右する大事なエ、モ、ノを」
ねっとりと絡新婦じょろうぐものような笑みを浮かべる友人に、確かに一度捕獲されたら逃げられる者はいないかも……、とユリウスは秘かに慄然とした。

 

「それでね、今日は……」
「サイズ直しですね? お客様」
アニカが接客モードになる。
「え、どうして分かったの?」
「何年この仕事をやっていると思っているの?」
プロフェッショナルスマイルをたたえ、事もなげにアニカは応える。
「良くって? だいたい素人の、それも男性からのサイズ申請ほど当てにならないものはないのよ。ねぇ、クラウス。やっぱり大きかったんでしょう?」
不貞腐れる顧客。
サプライズを仕掛けた場合、後々のちのち、多少の不都合が生じるのは仕方がないことである。

「でも、ちょっとだけだよ。だから大丈夫だって言ったんだけど」
「駄目よ、ユリウス」
ちっちっちっとアニカが人差し指を目の前で左右に揺らす。
「指輪って季節によっても緩んだりするの。最初から大きいなんて問題外よ」
「そういうもんなんだ……」
「じゃあ、大人しく指を見せてちょうだい」
おずおずと差し出された左手の薬指に、アニカはリングゲージを通していく。

 

「あらっ、まあ! ほぅら、ご覧なさい」
宝飾店にはそぐわない素っ頓狂な声が響き渡る。
「7号だなんてとんでもないわ。5.5号よ」
「お前、そんなに細いのかよ?」
恋人の薬指を食い入るように見るクラウス。
「そんなこと……ボクだって知らない。サイズなんて計ったことないし」
「貴女、今まで指輪したことないの?」
「だって、ピアノ弾くのに邪魔だもの」
「それにしたってねぇ……。貴方も、今まで買ってあげたりしなかったの?」
アニカは、恋人に有るまじき行為だわというような非難の目でクラウスを睨んだ(顧客に対して有るまじき行為である)。
「お、俺は前から、こいつに指輪を贈る時は、婚約指輪だって決めて……あ」
余計なことを口走った。
クラウスは口を噤んで横を向いた。

 

「……クラウス」
感激できらきら光る碧のまなこ
「はいはい、ご馳走さま。ところで、お式はいつなのかしら?」
「来年の5月。クラウスが生まれた月なの」
「あらぁ素敵。最高の記念日ね」
「誕生日なんかに拘らなくても良いって、俺は言ったんだけどさ」
「だって……、そうしたら、誕生日を迎える度に、幸せが倍になるでしょう?」
ユリウスは頬を染めて、鳶色の瞳を見つめた。
「お前……」
「はいはいはいはい、ご馳走さまぁ」
アニカが無理矢理シャッターを下ろした。

 

後日、サイズ直しされた婚約指輪は、無事にユリウスの薬指にぴったり嵌まった。
本来なら一週間かかるところを、三日後にはパリへ戻らなければならない二人の都合に合わせ、超特急で仕上げてくれたのである。
帰りの列車のなかで、暇さえあれば左手を上げて、嬉しそうに微笑む愛らしい婚約者を横目で見つめ、こんな顔が見られるならば、指輪なんて幾らでも買ってやる──と決意を固めるクラウスだった。

 

 

 

 

 

クローバークローバークローバー

 

 

それから──、

降り積む落ち葉に、
はらはらと雪が舞い。
雪溶けの下から幼葉が芽吹き。
スノードロップ。
クロッカス。
Kornblume矢車菊

 

新緑の季節が訪れる──。

 

教会の鐘が鳴っている。
空は抜けるように蒼い。ひんやりと澄んだ空気。枝葉から射し込む幾筋もの光の絹紐リボン
すべてが生まれ変わる日。
恋式部スイートピー。イングリッシュ・ラベンダー。スイートアリッサム。
何もかもが甘く香る日。

 

ユリウスは、ヴィルクリヒの腕に、そっと手を差し入れた。
「先生……、緊張していますか?」
ヴェール越しに彼女は訊いた。
「失敗したら、やつに何を言われるか分からんからな」
くすくすと花嫁が笑う。
真っ直ぐなヴァージンロードの先に立っているライトグレィのフロックコート。その背中に、心なしか緊張の二文字が窺えた。
勿論、自分は緊張していないと言ったら嘘になる。
だけど、それよりも、もっとふわふわした気分だった。もしも今、背中に羽が生えたなら、我慢できずに彼のところへ飛んでいってしまうだろう。
驚いた顔で両手を広げる彼の姿が瞼に浮かぶ。
いつもそうやって、彼はボクを抱き止めてくれたから。
幾つになっても、

何年経っても……。


友人イザークのピアノが鳴った。

 

「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも 富めるときも、貧しいときも──
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け。──その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか」
「はいっ、誓いますっ!」
一際大きい声が響いた。響きやすい構造なのだ。
目の前の神父が驚いた顔をする。
隣の新婦が慌てて耳打ちをする。
「こ、声が大きいよ……」
「なんで? 返事は大きくはっきりと、だろ」
列席者から忍び笑いが漏れてくる。
一列目のヴィルクリヒは、頭を抱えて俯いている。
神父が咳払いをし、誓いの言葉を繰り返した。

 

Schwöre誓います
──誓います。

 

そして誓いのキスをして、
──誓いの、キスを……。

 

教会の鐘が鳴っている。
艶めく若葉が風にそよげば、
瑞瑞しい花嫁に、天然のスポットライトが降り注ぐ。
祝福のオーケストラ。
歓びのアンダンティーノ。
鳥たちのピルエット。
花びらと光のボレロ。
ピアノ婚礼の歌と共鳴するように、

 

教会の鐘が鳴っている──。

 

 

 

 

 

クローバークローバークローバークローバー

 

 

「お式ではまとめていたから、今度は下ろしましょうね」
友人が姿見に向かって語りかける。ユリウスの髪のことである。
リーナは手際良く、オレンジブロッサムの生花を外していく。
以前、『椿姫』を歌った時も、ユリウスのヘアメイクをしてくれた。ただでさえ緊張している数多の局面シチュエーションで、そしてこの晴れの日で、多才で器用な友人はいつも彼女の支えであった。

 

「トップに、ドレスと同じ色のお花をつけるの」
リーナは、金色の髪にペールグリーンの花冠をカチューシャのように差し込んだ。
「どう?」
さっきから無言の新郎に、リーナは意味ありげに目線を向ける。
妖精エルフ……みたいだ……」
はっ! として口を閉じたが遅かった。
満足げに微笑むリーナ。
「……妖精?」
ユリウスがゆるゆると顔を上げる。
「あぁ……。覚えているか? お前が初めて女の格好をして、ゼバスの寮に現れた日を」

 

スカートを翻し、正門を乗り越えた向こう見ずなじゃじゃ馬天使。
『クラウスのばかっ!』
木漏れ日に舞い降りた金色の髪の妖精。
『クラウスに見てほしくて一生懸命走ってきたのにぃ……』
『あーっもう! 分かったよ! そこ動くなよ!』

 

「もちろん覚えているよ。忘れるわけないでしょう?」
ユリウスは、はにかむように微笑んだ。
「あの時も、妖精……って言ってくれた」

 

『妖精……かと思ったんだよ。木漏れ日の下のお前の姿が、眩しくて……』

 

「まあぁっ、そんなことがあったの?」
きらーん、とリーナの瞳が輝きだす。
「そ、そんなことより、背中と肩が出過ぎだろ」
クラウスが、白地あからさまに話を逸らした。
「まったく……、相変わらずねぇ。はいはい、リーナさんに任せなさい」
リーナは少し考えた後、ユリウスの髪を片側に寄せ、左肩にふわりとのせた。
「こうやって、こっちは髪で隠して。ユリウス、立って」
ユリウスが立ち上がると、リーナは新郎の手を取って、新婦の右肩へ誘導する。白い背中と華奢な肩が、逞しい腕と大きな手のひらですっぽりと覆われた。

 

「見せたくなかったら、パーティの間、この手を外さないこと。どう? これで良い?」
「え、パーティの間、ずっと? そんなの無理じゃない?」
ユリウスは困惑する。
「もったいないけど、諦めなさい、ユリウス」
長年の付き合いで、ことユリウスに関しては、このはがねの溺愛執着男にはどんな類いの抵抗も無駄である──ということをリーナは誰よりも熟知していた。
「よぅし、絶対に放さねえ」
クラウスは、肩を抱いた手に力を込める。
「お前も、絶対に俺から離れるなよ」
「クラウス、優しく触れて。綺麗な肌が痣になるわよ。それから決して無茶はしないこと。臨機応変にね」
「わ、分かってるよ、そんなこと」
「クラウスったら、もう……」

 

まだ控え室から出てもいないのに、一ミリたりとも彼は手を外してくれそうもない。ユリウスは不満げに唇を尖らせる。
──せっかく素敵なデザインのドレスなのにぃ……。
嬉しいけれど嬉しくない。
嬉しくないけれど、ちょっと嬉しい。
自分でも何だかよく解らない、複雑怪奇な心境のユリウスなのだった(要するに、浮き足立っている、ということです)。

 


 

 

クローバークローバークローバークローバークローバー

 

 

レーゲンスブルクの駅で、列車に乗る新郎新婦を見送った。
幸せいっぱいの笑顔をたたえ、
「今日は本当にありがとう」
という彼女の声を聴いた時、憑き物が落ちたように晴れやかな気分になった。

 

結婚式のために、一心不乱にピアノに向かった半年間が、燻ぶり続けた想いを冷ます良い機会になったのか。
以前のように、二人を見ても、胸の奥に刺さった棘が痛むことも無くなった(その棘が抜けたのか溶けたのかは分からない)。
挙式の間──、厳粛で清澄な空気を背中に浴びながら、ピアノの前で、指だけでなく全身で僕は躍った。これから先、他の誰かに同じことを頼まれても、これ以上の力を、そして気持ちを込めることはないだろう。
自分でも呆れるほど尾を引いた僕の失恋は、漸く、長い終章エピローグに終止符を打ったのだ。

 

いつの間にか、ダーヴィトは姿を消していた。先に帰ったのだろうか。
そう言えば、パーティーの間中、アーレンスマイヤ家の親族席の方へ、やたらと視線を送っているようだったが。
あのテーブルに座っていたのは、ユリウスのお母さんとヴィルクリヒ先生と、それから──。

 

僕は楽譜を取りに戻るため、パーティー会場のレストランへ引き返す。片付けは殆ど済んでいて、グランドピアノの譜面板の隙間に忘れられた花弁が一片ひとひら落ちていた。
ふと、中央にある緩やかな螺旋階段に目がいく。
二階から寄り添うように下りてきた新郎新婦の姿が残像のように輪郭を描いた(彼女の白い背中はしっかりと彼の手に護られて)。
ケーキと花の香りに囲まれた甘く軟らかな時間。
感極まるほどの幸福を、今日ここにいた誰もが共有した空間。

 

宴のあとの静寂。
蓋を開け、もう一度丁寧に、鍵盤を布で拭いていく。無秩序な音階が乾いた空気を跳ね返した。
「イザーク……ヴァイスハイトさん」
背後から自分を呼ぶ声。もう誰も残っていないと思っていたのに。
振り返ると、知らない女性が一人、ぽつんと立っていた。
──誰だろう?
美人である。
それ以外の表現が浮かばぬ自分が情けなかった。もしもこの場にダーヴィトがいたら、彼女に対して、止め処ない賛辞を述べるだろう。
まあ、僕の霞がかったまなこから見ても、年下であることだけは間違いない。

 

「あの、先刻まで……こちらのレストランで、ピアノを弾いていらしたのは、貴方ですよね……?」
「はあ……、そうですが」
唐突な質問に、何とも間抜けな返事を返す。
「私、偶然、前を通りかかったんです。すぐに、貴方のピアノだって分かりました。それでつい聴き入ってしまって……。ずっと……お店の門の影に張りついて……」
張りついて、という言い方に笑いそうになった。
「その状態で、最後まで聴かれていたんですか?」
「す、すいません! 私ったら……。あの、以前……と言ってもだいぶ前ですけれど、復活祭のオペラハウスで、貴方のピアノを聴いてから、ずっとファンなんです」

 

「そ」
僕は、思わず仰け反りそうになる。
「そんな昔から……ですか?」
オペラハウスで演奏したことは二度あるが、どちらにしても、7、8年前である。
「はい、そんな昔から……です」
彼女は顔をぽっと赤らめ、両頬に手を当てた。
なんだかそれがとても可愛らしく、初対面にも拘わらず、僕にしては珍しく破顔した。
おまけに、昔はどんなふうだったろう(恐らく何処かの学生だろう)という不謹慎な妄想までしてしまう。

気がつくと、彼女も笑っていた。
その笑顔に今日の祝宴を彩っていたスイートピーが重なって……。
──何を考えているんだ。
自分で自分が奇っ怪だった。
それで、お互いに緊張が解けたのかもしれない。
「私、何度か、コンサートにも行きました。ザルツブルクとミュンヘンと……」
彼女の声は、まだ少し上擦っている。

 

「それは、どうもありがとう」
「来月のウィーンのチケットも取ったんです。きっと行きます」
自分を見つめる彼女の瞳が眩しかった。
素直に嬉しいと僕は思った。
本当に──そう思ったのだ。
「それでは……、そろそろ失礼します。お邪魔してすいませんでした」
そのまま、彼女が立ち去ってしまうのが嫌だった。
引き留めたい──と強く願う自分がいた。

「あ、あの……」
ゆっくりと彼女が振り返る。長い髪がふわりと靡いた。
「はい、なんでしょう?」
「君の名前を……」
この時、僕は、緊張していただろうか。
「良かったら、お名前を教えて下さい」

 

 

 

 

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善は急げ、或いは思い立ったが吉日、という言葉は、今日の彼のためにあるのかもしれない。
祝宴の熱も冷めやらぬなか……いや寧ろ、その高揚感を勢いにのせ、ダーヴィト・ラッセンは彼の長い脚を最大限に生かし、目的地へ急ぐべく歩を進めた。
やがて、この街屈指の背の高い門扉が視界に現れる。彼にはそれが花園への扉に見えた。
弾んだ息を整えながら玄関へ──、そして躊躇なく呼び鈴を鳴らした。

 

程なくしてドアが開く。
彼女は、まだ深緑色のパーティードレスのままだった。陶器のようなデコルテを正面から見つめる。
美しい──と思った。
彼女は一瞬眉を顰めたが、彼の礼装を確認すると、警戒心を解いたようだ。あくまでも僅かだけれど。

 

「こんにちは、マリア・バルバラさん」
胸の喧騒を押し隠し、彼は言った。
「どちら様?」
「ダーヴィト・ラッセンです。今日の妹君の祝宴に出席していました。二人の学生時代の友人です」
「そのご友人の方が、私に何の用でしょう?」
彼女のなかに彼の記憶は皆無であった。しかし、そんなことで挫ける彼ではない。
「あぁ、気づかれなかったのも無理もない。貴女の視線はずっとユリウスに向いていて、そのうちの大半は感涙で霞んでいたでしょうから」
「あの、何がおっしゃりたいのです?」
再び、彼女の瞳が警戒心を帯びてくる。

 

「美しい涙でした」
「そういうことを訊いているのではなくて……」
彼女の声が刺々しさを増してくる。
「それでは、はっきり申し上げましょう」
彼はドアの内側へ、一歩踏み込んだ。
「一目惚れです」
「は?」
彼女は両目を見開いた。ついでに耳も疑った。
「聴こえませんでしたか? ではもう一度。貴女を一目見て僕は……」
「け、結構です! わざわざ揶揄からかいにいらしたの? 巫山戯ふざけるにもほどがあります」
せっかくの晴れの日の気分をぶち壊され、冷静を保っていたマリア・バルバラも徐々に頭に血が上ってきた。
「だいたい、初対面にも拘わらず──」

 

「初対面ではありません。パーティーの始まりから終わりまで、僕はずっと貴女を見つめていました」
「そんな一方的な視線、私はまったく認識しておりません」
「それは残念」
彼は目を細めて、にっこりと微笑んだ。
「そもそも不謹慎じゃなくて? 大切なお友達の祝宴の場で……」
そこで彼女は、はたと気づく。
「貴方……、歳は幾つなの?」

 

「そんなことはどうでも良いじゃないですか」
「では、私を幾つだと……思っているの?」
「恋愛に年齢は関係ありません」
明らかに知っているという口振りだった。
いったい彼は、いつ何処で、どのような手段で、彼女の年齢を知ったのだろう(実はパーティーで、こそっと新婦に訊いた)。
怒りを通り越して悪寒がしてくる。
「あるわ! あります! 大ありですっ!!」
マリア・バルバラは、今年一番の高い声を張り上げた。

 


 

 

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ピンク薔薇この後へ続く新婚初夜エピソードは、大人の表現多めなため(とはいってもそこまで過剰ではありませぬ)、アメンバー限定にさせていただきます。

申し訳ありませんが今しばらくお待ちくださいませ。