教会の鐘が鳴っている。
空は抜けるように蒼い。ひんやりと澄んだ空気。枝葉から射し込む幾筋もの光のリボン。
すべてが生まれ変わる日。
金木犀。チョコレートコスモス。スィートアリッサム。
何もかもが甘く香る日。

 

──教会の鐘が鳴っている。

 

今日、ボクは、クラウスのお嫁さんになる。ウェディングドレスを身に纏い、そろそろと姿見に歩み寄る。この日のために、大切に大切に、仕舞っておいたドレス。この日が来るのを、ずっとずっと、夢見てきた。
……うん大丈夫。今までで一番綺麗だよ。
期待と不安の入り混じった鏡のなかの顔を見つめる。オレンジの薔薇も頷くように揺れている。それから、そうっとヴェールを下ろした。
このドアを開ければ、クラウスが待っている。どきどきしながら、ボクはゆっくりとノブを回す。
あれ? 誰もいない。──何処へ行ったんだろう?
辺りを見回す。
……あっ、いた。

 

廊下の向こうに、彼の後ろ姿を発見した。足を一歩踏み出す。でもすぐに止める。彼の隣に、白いドレスを着た女性がいたからだ。
白い……ドレス?
おそるおそる歩を進める。真っ白なドレスが迫ってくる──。
……どういうこと?

 

「クラウス?」
彼を呼んだ。
「よう、来てくれたのか。嬉しいよ」
彼が振り向いて、にっこり笑った。
……何を言っているの?
彼は直ぐに背中を向けて、その女性の手を取って、徐々にボクから遠ざかっていく。

 

「待って! ねえ、その人は誰なの?」
ボクは叫んだ。
「ユリウス、もうすぐ始まる。席に座っていてくれ」
優しい顔で彼は応える。
何を言っているの?
「冗談……だよね……」
ボクの場所は、貴方の隣でしょう?
「やだなぁ、いったい何の趣向?」

 

その人は誰なの? ヴェールで顔が見えない。
彼のところへ行きたいのに、足がもつれて思うように進まない。
今日、貴方の横に立つのはボクだよね? なのに、どうしてボクを見てくれないの?
ねえクラウス、こっちに来て。ボクのウェディングドレス姿を見てよ。
貴方が言ったんだよ。これを着てくれ、って。
──俺との結婚式で着てくれ、って……。

 

……行かないで。
お願い、クラウス、行かないで。
行かないで、
行かないで……。

 

 

「行かないでぇ……、クラウス……、クラウ…ス……」
「ユリウス、おい、ユリウス」
目を開けると、行ってしまったクラウスの顔がユリウスを見下ろしていた。
「大丈夫か? えらくうんうんうなされてたぞ」
「クラウス……? 本物?」
「何だよそれ。寝る前から本物だよ」

 

「うわぁーん!」
まるで漫画のフキダシから飛び出してくるような台詞が口から出た。
「クラウスの馬鹿ぁっ!!」
ユリウスはクラウスをぽかぽかと叩き始めた。
「おいっ、いきなり何だよ?」
「裏切者おぉ」
「なっ……、どういうことだよ?」
人はあまりにも生々しい夢を見ると、現実を認識するまでに時間を要する。
「あの人は誰? いつから付き合っていたの?」
「はいぃ?」

 

 

 

 

「信じられない、信じられない、信じられないぃ」
まったく要領を得ない支離滅裂な説明を聞かされた挙句の果てがこれだった。
「ボクの目の前で、知らない女の人と結婚式をあげようとするなんてぇ」

「だからさ、それは夢なんだろ? 夢のなかのことまでは、流石に責任は取れねえなぁ」
「酷いっ! もっと優しい言い方できないの? なんでボクだけこんな散々な夢を見なきゃならないの?」
「なあ落ち着けよ。ほら、横になれって」
クラウスは枕をぽんぽん叩く。
「嫌っ! 眠ったら、さっきの夢の続きを見るかもしれないじゃない」
「そんなこと言って、一生寝ない気かよ?」
「一生寝なくてもいいっ。あんな夢を見るくらいなら睡眠不足で死んでやるぅ」
死ぬ前に眠るだろ、と言いそうになった。

 

「お前さ、マリッジブルーじゃねえか?」
「クラウス、さっきから冷たい」
ユリウスはクラウスを睨みつける。
「いや、だから、何度も言うけど、夢なんだからさ」
「何かやましいことがあるんでしょう?」
その瞳が徐々に滲んでくる。

 

「お前なあ。思考が捻じ曲がっているぞ。落ち着けって。ほい、深呼吸」
「あっ誤魔化してる。やっぱり隠しごとがあるんだ」
「おい、いい加減にしろよ。怒るぞ」
「やだぁ、怒らないでぇ」
ユリウスの眼から、ぽろぽろと涙が零れる。やっぱりマリッジブルーだ、とクラウスは溜息をもらす。
少し前に、アンドレが言っていた。結婚式が決まった途端、オスカルが荒れだしたと。オスカルは、『荒れてなどいない!』と荒れていて、アンドレはつい『荒れているのは昔から大丈夫だよ』となだめるつもりが更に怒りを買ってしまったと。

 

「分かった……。白状するよ」
「え?」
ユリウスは目を見開いた。
「まさか本当に、裏切りが……?」
芝居じみた台詞が愛らしい唇から零れる。全く似合っていなかった。

 

「いいか。その手の夢なら、俺だってごまんと見てるよ。しかも、相手の顔までばっちり出てくる。ご丁寧に毎回だ。お前も知っているやつらだ。誰だか分かるか?」
「やつ、ら?」
見開いた瞳が困惑で揺れ始める。
「イザークとダーヴィトだよ」
自ずと語気が荒くなる。ただ夢の話をしているだけなのに。
「イザーク5回、ダーヴィトに至っては、その倍だ」

 

「倍……?」
──数えているの?
「その夢を見るたびに、俺は、脂汗塗れになって目が覚める。毎回だ」
「じゃあ、15回……も?」
いつの間にか、ユリウスの涙は止まっていた。
「飛び起きて横を見ると、お前はすやすや眠っていて、俺は心底、安堵の息をつく」
「ボクを見て……?」
「そう。それだけで、俺の頭のなかの悪夢は消し飛ぶ」
クラウスは、金色の毛先を親指と人差し指で弄ぶ。

 

飛び起きた後、本当は抱き締めたいのを我慢して、手のひらに『人』の字を描くように、彼女の髪をいじっていることは内緒だけれど。
「あぁ……、弱音を吐いたな」
ユリウスが、ぎゅっと抱きつく。
「ごめんなさい……」
「眠れそうか?」
「うん……」
クラウスは、彼女に軽いキスをした。
「おでこじゃ嫌」
ユリウスは唇を指でつつく。そこはかとなく蠱惑的こわくてきに感じるのは、薄闇のせいなのか、それとも遠からず人妻になるからなのか。ついさっき、子供みたいに泣きじゃくっていた相手と同一人物とは思えない。
「馬鹿、我慢できなくな……」
両手で首を摑まえて。
やわらかな唇と舌が触れる。
数秒間。
彼女は小さく欠伸をして、ころんとシーツに横たわった。飼い主に散々絡んで、じゃれて疲れた仔猫みたいに。

 

「お前さぁ、それはないだろう」
今さら生殺しとも言えないが、生殺しだ、と言いたいクラウスだった。
「なんか、安心しちゃって……ふぁ」
ユリウスは、「ね、こっち来て。」と両手でクラウスの袖を引っ張った。蹌踉よろける躰に内緒話をするように、最弱音ピアニッシモの声で囁く。
……二人で同じ夢を見られれば、一緒に乗り越えられるのにね。

 

「そんな簡単にいくかよ。双子じゃあるまいし」
「双子と恋人はどちらが強いでしょう?」
知らねえよ、耳に息かけんなよ、とクラウスは髪の毛で耳を隠す。
「じゃあ、フィアンセだったら?」
その髪を掻き分けて、彼女は吐息混じりに質問を繰り返す。
──この野郎、絶対わざとだ。

 

「あのなぁ、こんな議論、不毛だよ」
「不毛かなぁ? ……うん、やっぱり不毛かぁ」
ユリウスが背中を丸めてくすくす笑う。
こうやって時々、子供と大人の間を行きつ戻りつする恋人は愛おしいのか、鬱陶しいのか、限りなく悩ましい問題だ……と彼は思う。
──まぁ、機嫌が直ったから良しとするか。
三度目の欠伸をした後に、彼女は彼の胸に躰を寄せて眠りについた。
その小さな躰を包み込むように、クラウスはユリウスを抱き締めた。

 

 

真珠の泡を辿っていくと、暗闇のなか、彼女が揺蕩いながら落ちていく。
深海の底へ沈む前に抱き止めて、
唇を重ね合わせた。
塩辛い。だけど、ほんのりと温かい。

 

それから、温かさは全身に広がって、
二人一緒に浮かび上がる。
ゆっくりと。
光の見える天辺まで。

 

ボクは──眩しさのなかで目が覚める。

 

すぐ横には、愛しい貴方。
ボクの髪に絡まる指。
穏やかに眠る顔。
しっかりと、ボクの背中に回る腕。

 

……うん大丈夫。今までで一番幸せだよ。

 

 

 

 

 

クリスマスベルタイトルはこちらから左下矢印

 

 

 

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