「女の声だ、ボーイソプラノじゃあない」
「女みたいな手だ…な。声だけかと思ったら」

の次ときたら──

 

※ベント→上着の後ろの裾部分のこと。
一本だけ切れ込みが入ったセンターベント、左右に切れ込みがあるサイドベンツ、切れ込みのないノーベントの三種類があるそうです。
ゼバスの制服は、(ベタ塗りで判別しにくいのですが)たぶんノーベント?

 

稚拙なイラスト多め回ガーン(無いとイメージが摑み難いため恥を忍んで載せます)

 

 

 

 

 

女みたいな…

 

 

また怒らせた。
ちょっと揶揄からかっただけなのに、どうしてこうも瞬間湯沸かしポットなのか。
「よぉう、そう怒るなって」
「触るな!」
碧色のビー玉がぎろりと回り、跳び退くように歩き始めた。
「お前が吸ってみたいって言ったんだぞ」
「あんなに笑うことないじゃないか!」
「あんなにゲホゲホ咳き込むとは思わなかったんだよ」
俺は笑いを嚙み殺す。
「あんなにからいとは思わなかったんだ!」
跳ねっ返るような高い声。だから、つい、必要以上に構っちまう。
「お前さぁ、もう少し練習しておいた方が良いぞ」
短くなった煙草を池に投げ捨て、俺は後を追いかけた。
「煙の匂いにも慣れとかないとな。俗にいうお偉方ってぇのは、ヘビィスモーカが多いんだ。アーレンスマイヤ家のお坊ちゃん」
小さな肩がピクリと震えた。
「将来、その麗しい金髪が煙草の煙に塗れるのかと思うと、ちと忍びないがねえ」
それでも、歩調は一向に緩まない。
「悪かったって。なあ」
こんにゃろ、無視かよ。
いったい何処まで行く気だよ?

 

……お前もいつまで追う気だよ?
と心のなかで己に問う。それが分かりゃあ苦労はないさ。

両手を必要以上にぶんぶん振って、スピードを増していく二本の脚から、だんだん視線が上へいく。


あれ……?
腰の辺りで視線が止まった。何故だか、そこから目が離せなくなる。
はたはたと翻るベントの下で、せわしなく動く、いや、揺れ続ける二つの丸み。まるで未熟な果実のような。それにズボンの皺がまといつく。

 

なんだか、こいつの、やけに……、
そう思ったときには口に出ていた。
「おい、女みたいな尻だな」
その瞬間、急ブレーキをかけたみたいにユリウスが立ち止まり、白い両手が尻を隠す。ぎゅっと押さえつけるように。
そして、その次の瞬間、茹でダコの般若が振り向いて。
俺はまた、引っ叩かれる羽目になる。
「いってー!!」
「馬鹿っ!!ヘンタイっっ!!」

 

……な、何なんだよぉ、いったい?

 

 

 

 

敵に背中は…

 

 

あれ以来、あいつは俺に背中を見せない。
俺の姿が目に入ると、どんなに離れた場所にいても、躰ごとこちらに向き直る。そして、肩の縫い目が裂けるのではと思うほど、上着の裾を下に引っ張る。
時にはイザークを盾にする。
極めつけは睨みつける。
だから、何なんだ……?

 

 

 

 

盲点だった……。
まさか、そんなところまで、男と女で違うなんて思ってもみなかった。
今のところ、指摘してきたのはクラウスだけだ。
でも、もしかしたら……、他にも気づいているやつがいるかもしれない。
そんなに……、
そんなに違うかな?
隣に立っているイザークの腰の辺りを食い入るように見る。細いし薄いし、たいして変わらないような気もするけれど……。

 

「ユリウス? 僕のズボンに何か付いてる?」
「う、ううん、何も……」
いっそのこと、上着のサイズを上げてみようか。
「ねえ、君の上着、ちょっと着てみたいんだけど」
ボクは、さりげなくイザークの顔を見る。
「え、どうして?」
「最近、これ、きつくなってきてさ。たぶん背が伸びたのかな。サイズ感を見たいんだ」
できるだけ自然に振る舞う。
「そうなんだ」
イザークは、何の抵抗もなく上着を脱いだ。鈍感な友人で助かった。
「実は僕も小さくなってきて、来年は買い替えなきゃまずいかなって考えていたんだ」
「お互い、まだまだ成長期ってことだね」

 

ボクは彼から上着を受け取る。せいぜい、ワンサイズくらいの差だろうと思った。
ところが、羽織ってみて驚いた。ぶかぶかだったからだ。両肩は不格好に落ち、袖は指先が隠れるほど長い。一番隠したかった場所だけは、すっぽりと太腿まで覆われていた。
「あぁ、君にはまだ少し大きいみたいだね」
表示を見ると、ツーサイズ違っている。身長はさほど変わらないのに。
「へえー、イザークって、意外と着瘦せするタイプだったんだ」
狼狽を隠すように、急いで彼の上着を脱いだ。貧弱な躰を隠すように、慌てて自分の上着を身につける。
こんなに……、こんなに違うのか。
じゃあ、クラウスは?
ボクよりも、イザークよりも、ずっと背の高いクラウスは?
こんなに……、
こんなに違うのか……。

 

クローバー クローバー クローバー

 

池の畔で足を止める。
諦めと苛立ちの中間に立っていた。
どちらにも触れないように……、
どちらかに触れただけで、きっと壊れてしまうだろう。

 

「ユリウス」
背後からの、男の声。
反射的に、背中に両腕を回して振り返る。ダーヴィトだった。
「ダーヴィトか」
平静を装う。心は泣き叫びたいのに。
「何か用かい?」
「いや……。ここのところ、ピリピリしているみたいだから。クラウスと何かあったのか?」
その名前に、ボクの躰は不自然に反応する。
「何故? どうしてクラウスが出てくるんだ? 彼とボクは何の関係もないのに」
ボクは努めて、男言葉を意識する。
「ふうん、ピリピリしているのは認めるんだ」
「え……」

 

言葉に詰まる。全身が堅く緊張している。
そんな……何もかも知ったふうな顔で、ボクを見るな。
あの雪の日の突然のキスから、彼はおかしい。
「まあ、悩みがあるなら、いつでも聞くよ」
「悩み?」
ボクは呼吸をして。
「悩みなんてないし、あったとしても、自分で解決できるよ」
それから、黙って彼を見据える。数秒間。
賢明にも、ダーヴィトは、そこで引いてくれた。

 

不必要な視線。
不必要な干渉。
関係ない。何もかも。
関係ない。
クラウスなんて……。

 

 

 

ユリウスの持っている楽譜音符

ドビュッシー『月の光』

 

 

 

水色の夢

 

 

「そんなこともあったなぁ」
クラウスは思い出し笑いをしながら、恋人の隣に腰を下ろした。
「笑いごとじゃなかったんだから、あの時は」
ユリウスは唇を尖らせた。レモンイエローのスカートが風を含んでふわりと広がる。
「まあ、今思えば、てんで無防備だったよな。あの頃のお前は」
クラウスは彼女の頭に片手を触れる。
「そうかなあ。これでも細心の注意を払っていたつもりだけれど……」
「うん。ま、仕方ないよな。とにかく」
その手を肩へ滑らせ抱き寄せた。
「あの時から、お前の尻にそそられっぱなしなのは確かだな」

 

……キケン信号ヲ、察知シマシタ。

 

彼の視線がまだ半分未熟な腰周りヒップラインに落ちる前に、ユリウスは、その顎を下から両手で押さえつけた。
「痛ってー! 何するんだよ?」
「見ちゃ駄目ぇ」
「あのなあ。そんなふわふわしたスカートじゃ、かたちも想像できねえよ」
「うわぁ何? その言い方。いやらしい」
「何ぃ?」

 

──これはまだ、キス以外は触ることすら叶わなかった頃の話。

 

「なあ、たまにはさ、デニムのタイトスカートとかに挑戦してみようって思わねえ?」
「何それ? 魂胆見え見え」
彼女は、ケーベツの眼差しで恋人を睨む。しかし、クラウスは挫けない。
「似合うと思うんだよなぁ。あ、なんなら俺が買ってやろうか?」
「要らないっ! 馬鹿!」
「馬鹿って言うこたぁねえだろ!」
「もし買ってきたら、それ履いて、イザークとダーヴィトに見せにいくからね」
「ば、ばっきゃろー! 駄目に決まってんだろーがっ」
「いーっだ! クラウスの、どヘンタイ」
「何だとお!?」

(Endless)

 

その晩、クラウスは夢を見た。
愛しいユリウスが、恥ずかしそうに、彼の目の前に立っている。
『クラウス、ほら見て。タイトスカート、履いてみたよ』
彼女はくるりとターンした。
『ねえ、似合う?』

 

 

ゼバスの寮の狭いベッドで、彼は身悶えるように寝返りを打つ。
「お前……、それはタイトじゃねえ……」
すると、恋人の姿がドロンと煙のなかに掻き消えた。
『それなら、こっちはどう……?』
ところが、煙はなかなか晴れない。どんなに目を擦っても、肝心なところがほとんど見えない。
「おい、見えないぞぉ……」
そこで突然、目が醒めてしまった。
……し、しまったぁ!!
クラウスは頭をガシガシ掻き毟る(とかく夢とは不合理なものである)。
もう一度、必死で寝直そうとしたが無駄だった。
彼が、彼女のその姿を見られるのは、もう暫く後の話(たぶん……)。

 

 

 

 

青色の目撃者

 

 

──数年後、パリにて。

 

目の醒めるようなブルーの象の滑り台がシンボルの公園で、彼は煙草に火をつけた。
ほどなくして、遠くから歩いてくる恋人の姿を確認する。ユリウスもこちらを見た。
思ったよりも早かった。
講義の後、ドイツから遊びに来ている友人とショッピングに行くので遅れるかも、と言っていたのに。
彼は煙草を消そうとした。
なんだか、歩調が緩慢な気がする。いつもなら走り寄ってくるはずなのに。
表情も何処となく硬い。いつもは、にこにこしているのに。
両腕を揃えて真っ直ぐに下に伸ばし、持っている教科書をぴたりと躰の前面にくっつけて、まるで何かを隠すような仕草である。
クラウスは、そろそろと近づいてくるユリウスを凝視した。煙草を落としそうになる。
「ごめんね……、待った?」

 

 

とてもミニだった。
とてもタイトだった。
付いているフリルは、おまけみたいなものだった。
彼女が前を気にしているのが態度で分かった。
しかし、どちらかと言えば、彼は後ろヒップが気になった。

 

二人は、もう昔の二人ではない。今は一歩、いや二、三歩進んだ関係だ。
当然、彼は、彼女のすべてを見尽くしている……つもりだ。
それなのに、何だろう?この新鮮な驚きは。
自分で自分を分析する。
今更ながら、あの制服の下で見え隠れしていた硬い果実を思い出す。

 

「それ……、買ったのか?」
「う、うん。これが一番似合うって。お店の人にも、リーナにも。せっかくだから、こっちを履いて行きなさいって……」
ユリウスは辿々しく、小声で応えた。頬を染め、地面ばかり見て、端が反り返るほど教科書を躰に押しつけている。そうすると、ますます後ろが突き出るような格好になる。
隠す方を間違ってるぜ。とクラウスは思った。
クラウスは煙草を消して、恋人の肩を抱き寄せる。

 

「似合ってるぜ」
「ほんと……?」
「ああ。特に、ここが」
その時、つぶらな瞳で象は見ていた。
悪戯な手が、その魅惑的な腰周りヒップラインを、そうっと下から撫で上げるのを。
「や……っ」
と彼女が悲鳴をあげる前に、彼は柔らかな唇に蓋をする。
15秒。

「煙草の匂い……」
「ごめん」
「ううん、……好き」
それから少し深いキス。彼女を象に押しつけて。
30秒。
つぶらな瞳は手のひらで覆われた。

 

クローバー クローバー クローバー

 

夕方、パリ市内のカジュアルなレストランで三人は合流した。
セーヌ川が良く見える窓際のテーブルに案内される。
店内には白いグランドピアノが置いてあるが、誰も座っていなかった。今は静かな音楽が流れている。

 

「どぉう? この彼女のスカート。ノーサツだったでしょう」
リーナは、テーブルに両肘をついて、にっこりと微笑んだ。
「あのなぁ、ここに来るまで、どれだけ不埒な輩どもの視線を浴びたか。跳ね返す方の身にもなれよ」
クラウスは、憤懣やるかたない様子である。
「まあ! 貴方の殺人光線キラービームにも怯まない男がいるなんて。さすがパリは違うわねぇ」
「ふん! 飲んでる水が違うんだよ」
リーナがころころと笑った。

 

「リーナ、ほら、お腹空いたでしょう」
ユリウスは顔を赤らめながら、話を逸らそうとメニューを開く。
「あれから、あちこち周ったの?」
「もっちろん。秋のパリは最高ね。明日もたくさん歩くわよぉ」
そう言って、リーナはメニューを覗き込んだ。まったく疲れていないようだ。
クラウスは、呆れた表情で溜息をつく。
気がつくと、ピアノの前には赤いドレスの女性が座っていて、間もなく演奏が始まった。
まるで初めてのデートみたいに、ユリウスは恋人の顔を盗み見る。だけど、直ぐに気づかれ、ウインクを返された。

 

「もしかして、私、お邪魔かしら?」
メニューの向こうから友人の厳しい目が。
「と、とんでもない!」
ユリウスは慌てて否定した。クラウスは笑いを堪えている。
リーナは、クラウスを一瞥した後、ユリウスを見た。
「ところで、あなたたちは、ずっと、今まで何処で何をしていたの?」
「え? えっとね……」
すべてを見透かすような尋問口調に動揺する。
ユリウスは横目で恋人に助けを求めるが、知らん顔をされた。

 

「良いのよ。愚問だったみたいね」
「何だよ? 愚問て」
「愚かな質問」
「意味を聞いてんじゃねえ!」
女神のような微笑みを向ける友人に、ぎこちない笑顔を浮かべる自分を認識する。
けれど……、
だからと言って……、
子供の遊具に押しつけられて、口づけの雨を浴びていた……なんて、とても言えないユリウスだった。

 

 

 

藍色の交歓

 

 

そうして……、
口づけの雨を浴びながら、
愛しい男のざらついた指先が耳裏を這い、

 

息が上がる。

 

唇が、
舌が、
その指が触れるところすべて、

 

体温が上がる。

 

褐色の瞳と、
落葉らくようかさなり、

 

秋に溺れる。

 

硬い殻を割られ、
固着した蕾を剥がされ、
眠っている情慾を、

 

揺り起こされる。

 

お前の躰は、
お前の心は、
あまねく、
余すところなく、
もう十分に女だと、

 

愛しい男の、声が囁く。

 

熱い。
火が灯る。
火傷しそうなほどだ、と。

 

「そんなの……、嘘……」

「嘘じゃない……」

 

 

 

 

 

 紺色の緊張

 

実はこの話の中で二人は日程を決めていたのです。こういうのを伏線と言うのだろうか(よくわくぁんなぁい)。

右下矢印右下矢印

『A・グランディエの徒然日記vol.2/C・フリードリヒ・ゾンマーシュミットの徒然日記』

 

 

──更にその数年後の晩夏。レーゲンスブルクに向かうICEの車中にて。

 

列車に乗っている間、彼の様子はいつもとは違って見えた。断っておくが、服装がスーツだから、という理由わけではない。
窓の外、というよりは、窓ガラスを意味なく見つめ、……見つめているだけ。
そうかと思うと、自分の手のひらを穴が開くほど凝視して。おもむろに天井に目を向けてから、また窓ガラスへ視線を移す(絶対に景色なんか見ていない、とユリウスは踏んでいる)。
要するに、うわの空、という状態だ。
ついに我慢の限界がきて、彼女は尋ねる。

 

「クラウス、なにをそんなに緊張しているの?」
「えっ?」
と言ったきり、クラウスは口を噤んだ。彼女は言い方を変える。
「ねえ……、そんなに緊張しなくてもいいんじゃない?」
優しく労わるような口調である。
「今からそんなんじゃ、家に着くまで持たないよ」
「あ、あぁ……」

愛情たっぷりの笑顔を浮かべ、ユリウスは婚約者をじっと見つめた。
「だけど、今さら緊張する相手なの? ゼバスにいる頃から、ずうっと、先生とも思わないような態度でいたくせに」
「それとこれとは別なんだ。こういうときの男の気持ちなんて、女には解らねえよ」
不貞腐れると、17の子供ガキに戻る。
「15年間、男でいても?」
「そんなの外側だけのことだろう。内側は、ずっと女だったじゃねえか」
小さな不快。だけど、表に出さないように自制する。
「どうして? 知り合う前のボクの気持ちまで貴方に解るの?」
「あのな、初めて逢った時から、お前の心は透っけ透けのガラス窓だ」
慣れない緊張のせいで言葉が過ぎる。
「そんなの嘘だ! クラウスの嘘つき!」

 

慣れない仕打ちに、とうとう頭に血が上った(頭に血が上ると15の性格に戻る)。
吊り上がる両眉。
睨みつける碧の瞳。
無言の時間。
数十秒。

「挨拶に行く前に、婚約解消するつもりか?」
漸く、クラウスが口を開いた。
「だって……、誰のせいなの?」
ユリウスの言葉が震える。
「そうだな。俺が悪かった」
二人の顔が接近する。
「謝って済むなら警察は……、……っ」

 

時間が過ぎる。
15秒?
……30秒?
彼が彼女に何をしたか、説明は不要だろう。
「コンパートメントだからって……」
「だから、コンパートメントを取ったんだ」
クラウスは、ユリウスのシャンプーの匂いを嗅いだ。
海の香り。
ユリウスは、クラウスのシャツの匂いを嗅いだ。
太陽の香り。
どちらも夏の終わりの匂いがした。

 

 

 

 

 

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